マヨネーズは嫌いなんだ
「鶏卵の黄身。菜種油と大豆油。リンゴ酢。以上の素材が撹拌により乳化している…」
遠心分離機から資料を取り出しながら読み上げる。
傍らにいる目の血走った男はそれを聞いてこめかみを押さえた。
「つまりマヨネーズですわよねこれ」
わざわざ言うまでも無いことを確認する。突然栄養学センターに駆け込んで来たこの男。IDカードには『ヴィト 宇宙工学者』と書かれているが、目のしたのクマとヒゲもあいまって強盗のようだ。
「君も料理人なら土星のヤペタスコロニーで作出された野菜は知っているだろう」
頷く。土星衛星コロニーの植物学実験を知らない人間は栄養学者にも料理人にもいない。地球への持込は認可されていないが、かの星の調査ステーションでは必ず食卓にのぼる。
「数日前に、それが突然変異し現地基地を占拠。宇宙空間高速通路に乗って移動中。行き先はこの基地だ」
男は銃を突きつけるように指をそろえた。だが意味がわからない。食用植物が高速に乗ってこの外宇宙港ケレスに来る?
「ええと、原因は?」
「これだ」
端末から飛び出た写真はコラージュにしか見えなかった。ほかの写真でよく知っている調査ステーションの公共食堂。そのバイキングコーナーが乳白色のどろどろに埋まっている。その塊から、ところどころ人間の手足がはみ出ているのもわかった。
「ランチバイキングのサラダケースからマヨネーズ和えの植物片が爆発的に増殖したんだ。誰が予測できる?組成検査、生育検査全てをパスした無毒の植物がマヨネーズに浸されることで突然変異するなんて!」
写真はコマ送りにマヨネーズサラダが増大していく姿を捉えている。数枚後にはカメラの目の前が埋まり、そして暗転した。
「ともかく、対策しなければならない。マヨネーズ由来変質野菜群がこのステーションに到達するまであと10時間程度しかない」
「マヨを洗い流すか、燃やせばいいじゃありませんの?」
「宇宙空間を航行してるんだぞ。同じ要領でやらなければ対抗できない可能性がある」
「というと?」
男は、人口50万を誇る外宇宙港ステーションケレスのホログラフを出した。手書きで矢印を加え、『マヨネーズアタック@残り10時間』と大書した。その矢印を迎え撃つような剣のマークを書き添える。
その傍らには、『NEWサラダ』。
「このステーションの異星生物局にかけあい土星野菜を増産、そして君達料理人にサラダを作ってもらう。ただし、ドレッシングはマヨネーズを使った、マヨネーズを打倒しうるもの。それでもって対マヨネーズサラダ生物群が生まれることを期待せざるを得ない」
充血した目が私を射抜いた。狂人の目だが、あの写真を見た私も、恐らく同じ目をしているだろう。私にも狂気が、覚悟が伝染してきたようだ。
「このステーションにいる料理人の数は?」
「ざっと、5万人。候補生ですけどね。深宇宙探査スタッフじゃ人気職で、狭き門なんです」
「いいね。期待できる。競争の中にいる生物はいい閃きを持っている」
「閃く必要もないと思いますわ」
「どうして」
「だってサラダソースなんて、ここにはたくさんありますもの」
やるしかないのだろう。50万の人々を、太陽系を守るため、サラダを作る。
■
「料理人およびその卵の諸君。太陽系の未来が君達の手にかかっている。作業目的は、マヨネーズ由来変質野菜群を食い止めることだ。そのためにはマヨネーズをベースにしつつ、まったく違うソースをつくるしかない」
「そうするとどうなる?」
大講義室に集まった千人の中から、トルコ人が手を上げた。かの国をはじめ、ここにはマヨネーズ先進国出身を集めた。
質問に対し、ヴィトはホログラフ説明図を指した。
「土星野菜にみとめられるマヨネーズ変質をおこしつつ、我等が制御可能ないし相手と対消滅するような結果を期待している」
「うまくいきっこねえ」
イギリス人が端正な皮肉の笑顔を浮かべる。ヴィトは切り裂くように指差した。
「ならばここでマヨネーズ溺死するか、ステーションの核爆発で爆死するかだ。マヨネーズを殺さず、マヨネーズに負けぬ。そういうものを作ってくれ。さもなくば、ステーションは終わりだ」
「おもろいねんな。やりまひょ」
鋭く微笑み、日本人はさっと立ち上がって隣室の厨房へ駆け出した。それに釣られ千人の料理人軍が動く。
みな笑っていた。宇宙の挑む味勝負に心が躍っているのだ。
■
「インターチェンジリング、開きます」
「ジェネレータ通常稼動。こちらは指示していません」
「やつらめ。ヤペタスステーションからハッキングしているのか」
準惑星ケレスを改造して作ったステーション、その最深部のモニタに軌道上のリングが映る。宇宙空間高速通路の混雑状況を示すモニタは真っ赤だ。何かがぎっしりとつまり、こちらに向かってきている。
「迎撃舟艇、展開完了」
「人員撤収完了」
「3番艇、異常発生。ハッチが閉鎖できません。強制開放まで残り約20」
「あけてしまえ。やることは同じだ。・・・問題ないなヴィト?」
「ええ。短時間ですが、安全性テストはしました」
指令管の問いかけに、傍らのヴィトは手刀で小刻みに空を切りながら答えた。緊張感と不安のせいだろう。私も脂汗が流れるのを止められない。いっそ宇宙の冷気に身を躍らせたかった。
「よし、全舟艇ハッチオープン。迎撃開始時刻は私が宣言する。開始後30分効果が見られない場合は電磁兵器に切り替える」
「それでも効果が見られない場合は?」
下士官達が一斉に指令を見る。電磁兵器はヤペタスステーションでも既に使用されていたが、効果無しとの報告があったからだ。指令管は軍帽を深くかぶり、ペンダントの家族写真を見つめた。
「自爆だ。本ステーションの核融合炉でもって対象を焼却する」
「大丈夫。上手くいくさ」
ヴィトは小さく呟いた。
「あとは誰のソースが勝つかだけさ。君は誰に賭ける?僕はペルーのやつがいい」
それが強がりだとはわかっていたが、私は自然に笑って答えていた。
「私は中国のホアジャオマヨに賭けますわ」
■
巨大なリングの前で10数隻のコンテナ船が弾けていく。宇宙空間に乳白色の不定形物質があふれ出し、ゆっくりと増殖しだした。だがその速度は調査ステーションのそれより遅い。
日の丸のコンテナからわさびマヨ、ソースマヨがあふれ出した。マヨネーズの生臭みを消しつつ、まろやかさを生かす品だ。ペルー艇からはアヒ・アマリ-ジョマヨ。キイロトウガラシを使った辛味系。ほかにもケチャップマヨ、オイスターマヨ、マスタードマヨと、国際色豊かなマヨサラダが展開していく。それは宇宙に咲く花のようだった。
「素晴らしいな」
「地球のスーパーやコンビニでいくらでも見ると思いますけど」
「そうなのか?野菜は生でいく主義だからよく知らなくてな」
『エンゲージ!』
宇宙空間高速通路のリングが白光と共に開く。中から凄まじい勢いであふれ出したるは宇宙の狂気、土星のヤペタスより来るマヨネーズサラダ群!
超空間航行からの減速もそこそこに、ゾル状塊は防壁展開した多国籍マヨネーズサラダ盾へ衝突した!
『イエー!』
インカムから大講義室の歓声が聞こえる。ソースを開発し、サラダを作った料理人達だ。彼らの努力の結晶がまさしく効果を発揮したのだ。
しかし
「防壁の凝固を確認。凍結しています」
「凝固速度が増殖を上回っているか・・・!」
ヴィトのシャドーボクシングがむなしく空を切る。モニタの見た目に変化は無いが、乳白色の盾にかすかなヒビが入りつつあるように感じた。
「防壁、後退しています」
「くそっ、コンテナ船を発進させて押し戻すんだ。急げ」
コントロールルームへ、静かな絶望の色が広がり始める。電磁兵器のアンテナが動き出して充填を始めるが、おそらく効果はないだろう。
「ヴィト?」
「ああ。使いたくはなかったが・・・」
白衣の袖で汗をぬぐうと、彼は端末を叩いた。
「シャトル発進。最後の手段をぶつける」
「おい貴様!」
「指令、迎撃で落とさんでくださいよ。死ぬ間際まで足掻きたいんだこっちは」
すぐさまレーダーが警報を発し、ステーション各部から民間シャトルの違法発進を報告する。小さな無数の、数百にも及ぶそれが多国籍マヨネーズ盾の背後に殺到する!
「各機衝突まで秒読み30、29・・・」
「なんだ。何を積んでいるんだあれは」
「邪道、ですわ」
短く司令官に言い放つ。ヴィトは鋭い目のまま頷いた。
「ああそうだ。このステーション中からかき集めた発酵食品。チーズ、ヨーグルト、ミソ、ショーユをありったけ」
「追い塩ですわ!」
モニタは、シャトルが乳白色の固まりに突っ込む様子をはっきり写した。その衝撃で盾が破れ、向こう側から侵略するマヨネーズの塊が顔を出す。ステーションには数分で届くだろうその濁流、その頭が鎌首をもたげたのだ。
それはステーションの重力影響が及ぶ一歩手前で、静止した。
■
新たなサンプルを遠心分離機にかけつつ、ヴィトを振り返る。彼は報告書のホログラフに囲まれて真っ青に染まりながら、コーヒーをすすっていた。
「結局、なんだったんですの?」
マヨネーズは止まった。静止した有機物は宇宙の冷気で砕かれ、無害となった。空前絶後のスペースデブリに、関係各局は頭を痛めているという。
ヴィトは疲れた顔で、しかしやりきった清々しい顔をこちらに向けた。
「土星への搬入報告書から察するに、調査ステーションのサラダバーにはマヨネーズソースしかなかったようだ」
「まさか、サラダのほうがマヨネーズに飽きて怒り出したとか?」
その表情に鼓動が高鳴る。ごまかすように妙な冗談が出てしまった。しかし彼は真剣に考えるそぶりを見せたあと
「さあね。少なくとも」
ホログラムをこちらに投げて寄越した。
「宇宙航海法にその文を申請するよ。『調理用ソースは複数を携帯すること。特にマヨネーズ単体のみを持ち込むことを禁ずる』ってね」
【FIN】
ヘッズ一次創作合同ボツネタ。
約3970字。
構想:累計5時間
筆記:約3時間