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近未来建築診断士 播磨 第4話 Part4-5

近未来建築診断士 播磨

第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.4『現場調査』 -5

【前話】

 階段手摺から身を乗り出して下をうかがう。
 誰かいる。一人のようだ。ゆっくりと登ってくる。

 ARグラスに春日居のチャットが光った。

『どうする。6階に出る?』
『ワイヤ長さ不足。降りれない』

 チャットするうち、その人物は顔を上げる。手摺越しに目があった。

 40台前半くらいの男性だ。大人しげな印象を受ける黒縁眼鏡をかけている。短い黒髪は床屋で切ってきたように清潔感があり、ホワイトカラーのようなYシャツをきちんと着込んでいた。

 男性は軽く目を伏せて会釈すると、またゆっくりと階段を登りはじめた。

 傍らの春日居を見る。後方のドアを親指で指して首を縦に振った。今からでも6階に逃げ込もうということか。

 だが彼にこちらを見られてしまった。今逃げ出せばそれこそ言い逃れできない。もう逃げ場はないのだ。

 頭を振り、できるだけゆっくりと階段を下りる。彼が理事会員だとしても一人きりだ。同行する最中、隙を見てどこかの窓から万能鍵だけでも投げ捨てる。あれだけは見つかってはならないものだ。

 踊り場で彼は待っていた。両手を体の前で軽く重ねている。奥ゆかしさすら感じる仕草だった。

 向うに先んじて頭を下げる。

「どうもお騒がせしております。私は」
「建物調査の方、ですよね?」

 男性も頭を下げた。対応が柔らかい。理事長やエントランスの人々のような押しの強さを感じない。

「いまは1階に行かないほうがいいです。理事会の人が大勢集まってるみたいですから」

 彼はあたりをはばかるようにささやいた。聴き間違えたかと思い春日居を見たが、彼女も同じようにこちらを見ている。

「失礼ですが、貴方は理事会の方では・・・」
「私は新参者なので。あの人たちみたいに熱心じゃありません」

 苦笑しながら首を振ってみせる。町会長と似た、苦労と諦めの混じった口調。男性はその口調そのままに続けた。

「実は貴方に、相談させて頂きたくて」
「は・・・。どういったご用件でしょう?」
「ここではちょっと」

 男性は腕の端末を確認する。ちらりと1階の様子が映っているのが見えた。なにか動きがあったようだ。彼は眉根を寄せてモニタを消した。

「家にいらしていただけませんか?」
「え?」
「時間を潰していれば、下の人たちも解散すると思いますから」

 罠ではないだろうか。
 ぼくらにはまだ出来ることがある。しかしここで彼の誘いに乗れば、部屋に閉じ込められるのと同じだ。そうなればもう何もできない。行った先に警官が待っていることだって考えられる。

 だが

「では、お邪魔します」

 春日居も頷いた。
 明らかに何かが違う。この建物に訪れて以降、何人もの人がぼくらを見た。それも、奇妙なものを見る目で。最低限の尊敬心すらないぶしつけな視線。それが彼にはなかった。

 ■

 案内された部屋の間取りは11階で見たものとほぼ同じだった。ベランダに常緑植物が並ぶためか開放感は感じられないものの、肉厚の緑から差し込む日差しが木漏れ日のように美しかった。

「遅くなりました。牧野友太郎と申します」

 牧野氏は紅茶を振舞い終えるとようやく挨拶した。丁寧で腰が低い人だが、少し丁寧すぎる気がする。

 すすめられるままにテーブルにつくと、牧野氏もようやく席に座った。お互いにカップを取り、一口すする。

「今日はどういった作業をされていたんです?」

 カップを持ったまま、牧野氏は真っ直ぐ問いかけてきた。

「建物の写真を撮ったり、劣化が無いかを見て回ったりです」
「それだけ、ですか?」
「あとは、理事長に内緒で透視撮影機とかを持ち込んだり・・・」
「ああ…」

 やや小声になってしまった告白に、牧野氏はやっぱりというように頭を振った。

「理事会の人たちって、おかしいんですよ。とんでもなくカンがいいんです。あなた方の持込みに確証を得ているわけではないと思いますが、たぶん察したんです」
「そんな根拠で警察を・・・」
「前にもありました。ここに住んでいる男の子とその友達がエントランスで遊んでいるのを、不審者として通報したこともあります」
「…ひどいですねソレ」
「いや、それがまるっきり言い掛かりでもなかったんです」

 徐々に牧野氏の舌が回りはじめる。手の中でカップを弄びながら語られるその内容はめちゃくちゃながら、能荏理事長ならやりかねない話でもあった。

「警察が来て子供達の荷物を確認したら、ライターと花火が見つかったんです。吹き抜けの中で打ち上げようとしてたみたいでして」
「あー、やりそう」

 春日居の相槌に頷くと、牧野氏が壁に向かって手を振った。何かと思い見てみると、そこには各住戸据付のインターホンがある。小さな筐体が氏のジェスチュアに呼応するように小さな明滅光を放つとテーブルのうえに書類のようなものが投影された。

「これ、理事会ネットです」

【続く】

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