歴史IFモノとしての隻狼-葦名氏と蘆名氏-
1.序文
本記事はPS4用アクションアドベンチャーゲーム『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』について筆者が昼夜考え続けた結果ドツボにハマった件に関するものです。ネタバレが含まれますのでご注意ください。
内容に関しまして読者の皆さんがお感じになるだろう
「あったまおかしいんじゃな~い?」
というご批判は完全に正鵠を射ているので遠慮なくお申し付けください。
でも罵詈雑言はご勘弁ください。
2.ゲーム中のイベント時系列は現実の歴史である程度整理できる
タイトルで結論を述べました。個人的にはこれが可能だと思っています。ただwikiで調べた程度なので、歴史オタクの方々から見ると穴だらけの可能性は十分にありますが。
まずはざっくりゲーム中の出来事を列挙。以下『本編から』とあるのは、狼が目覚めたゲーム開始時点から数えた年数を指します。
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本編から20余年前:君主、葦名一心による国盗り戦
田村氏との決戦
本編から3年前 :葦名の分家、平田氏の屋敷が襲撃される
襲撃者に内府の隠密有り
本編 :葦名城、内府の隠密、赤備えの襲撃を受ける
ルートによっては兵士、民草併せて数千名の死者有り
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これに史実の時間軸を重ねる仮説をたてました。
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1589年頃 :摺上原の戦い(伊達政宗vs蘆名義広の合戦)
本編から20余年前の戦のモデルと思われます。
葦名一心は隻眼で政宗と通じるものがありますが、
ここでは蘆名=葦名と仮定。
蘆名氏が勝利した歴史IFのはじまりです。
1598年頃 :豊臣秀吉没
1603年頃 :徳川家康、右大臣(内府)に
ゲーム中たびたび内府という言葉が登場しますが、
内府=徳川家康というのはほぼ間違いないでしょう。
1608年頃 :特になし(ゲーム中は平田屋敷焼き討ち)
1611年頃 :9月27日 会津慶長地震 死者3000名を超える
隻狼ゲーム中でも印象的なイベント、修羅エンド。
そのエンディングでナレーターは
「兵士、民草併せて死者、数千」と言っています。
本地震は摺上原の戦いより22年後。
ゲーム中での国盗り戦から経過した年月の範囲内。
隻狼の世界では地震によってではなく、
修羅によって人が殺められたのかもしれません。
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3.つまり、どういうことだってばよ?
蘆名氏=葦名氏の仮定に始まり、摺上原の戦いで蘆名氏が滅ばず奥州を獲った歴史IFがゲーム中の国盗り戦ではないか。そこから20余年後に大きな被害をもたらした災害が発生している。この二つの大きな事件と家康の右大臣拝命時期を併せて考えると、隻狼の世界観は史実の事件に符合して作られているのではないか、との思いを強くしたのです。
これによってゲーム本編でほぼ情報が無い、仏師の関わった戦や葦名弦一郎の父について推測が可能ではないかと期待を抱いています。
端的に言えば、自分の隻狼強火妄想にさらなる油を注いで悦に入っているのです。楽しくなって参りました。
4.終わりに
隻狼にDLC無く、エルデンリングの続報無し。そのため脳内で上述の如き情報が熟成し、神秘的な交わりをもたらしたのでしょう。
二次創作小説まではじめちゃいましたよ。
仏師殿こと落ち谷の飛猿のお話です。川蝉も登場します。お暇の有る心の広い方、ご覧いただければ幸いです。
いじょうです。