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近未来建築診断士 播磨 第4話 Part4-6
近未来建築診断士 播磨
第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.4『現場調査』 -6
掲示板のようだ。薄い緑青色で統一されたそこには、理事会からのお知らせや清掃班の当番表、マンション内で必要な電子書類の書式が並ぶ。その一部に防犯活動のページもあり、つい先ほど理事会役員にむけて不審者対策のための召集がかけられていた。
タッチしてその記事を呼び出すと、机に広がる電子掲示板から別の表示が生え出した。引き抜いてみると『不審者情報:警察連絡済み』とゴシック体文字で大書されたデジタル書類が一枚。その内容はシンプルだ。
『発議:理事長。カメラを持った不審者』『現在対応中。役員の方々はエントランスまで』の2行だけ。
「この内容で集まるんですか。役員の方々は」
「めちゃくちゃでしょう?理事会の人たちのあの、外の人たちに向ける嫌悪感ってほんとに異常ですよ」
確かに反応の仕方は異常と言える。普通だったら、エントランスで騒ぐ子供も外から来ている業者も、注目こそしても通報までしないだろう。
だが子供達は花火を。ぼくは違法な道具を持ち込んでいた。部外者への嫌悪感と警戒心で高められた妄想に近い勘が、真相を突いている。
防犯掲示板を手繰っていくと、そんなことがたびたび起きているのがわかった。銀行員を装った新興宗教勧誘。盗撮しようとしていた重量物宅配員や配達ドローン。麻薬シールを持ち込もうとした居住者の友人等々。
「こちらには何年くらいお住まいなんですか?」
「そろそろ1年て所ですかね。新参者です」
牧野氏が春日居と雑談する間、そんな通報歴を流し見ていく。確かに通報が正当だったケースはある。だがそれ以上に通報件数そのものが多い。ここ2、3年の通報的中率は4割程度というところか。
「その新入りの、通過儀礼があるんです。ご相談したいのはそのことです」
改めて背筋を伸ばした氏につられ、余所見をやめた。
「もうじき次の外壁清掃があるんです」
そう告げる牧野氏の声音は固い。小さい声だがはっきりと口に出された外壁清掃の言葉には、ありったけの拒否感が込められているように感じた。
外壁清掃。受注のときに元木町会長が言っていた。まったくの素人を軽装備で地上50m以上の外壁に出し、清掃をさせているという。その当番が牧野氏にやってきたのだ。
「参加されるんですか」
「ほぼ強制です。仕事があるといってもわかってくれないんです」
力なく首を振る。想像はしていたが、拒否権は無いらしい。あの理事長のことだ。嫌がったりすっぽかしたりすれば嫌がらせの一つや二つするだろう。
「ほんとは参加したくないので、無理やり仕事の予定を入れました。そしたら理事会がどうしたと思います?」
想像もしたくない。人間の縄張り意識というものは想像以上に強く、近隣トラブルは歴史上絶えたためしがない。先生から聞いたこと、自分で調べたこと含め、この手のいざこざで起きる出来事は陰湿の極みだ。
春日居が首を振ると、牧野氏は投げやりに笑った。
「会社に電話してきたんですよ。マンションの作業を優先させるようにって。電話を受けた上司はその通りにしました」
「おかしいじゃないですか、それ」
「関わりたくなかったんでしょう」
上長は単に部下の近隣トラブルだと思ったのだろう。同じ立場にいたとしたら自分も同じ判断をしたかもしれない。関わり合いにならないのは賢明な道といえる。だが牧野氏は助けを求める先が無くなってしまったのだ。
氏は笑顔のまま頭を抱えた。
「もう逃げ場がないんです。やるしかない。でも、でも私は、高所恐怖症なんです。あんな高所に出ると思うと…!」
顔から血の気が失せていく。きっと作業に想像をめぐらせているのだろう。真っ青な顔で牧野氏は机の上を見つめているが、その視界には垂直に切れ落ちるマンションの壁面が映っているのではないか。
すぐさま端末を叩き、事務所備品の目録を呼び出す。たしか牧野氏におあつらえ向きの装備があったはずだ。
「ご相談の内容はわかりました。当日、ぼくもご一緒させてください」
がばと牧野氏が顔を上げる。その目の前に端末を差し出し、装備品を投影して見せた。
「これは?」
「ぼく等が使ってるのと同型のARグラスです。これは高所作業補助用のアプリが使えます」
牧野氏といっしょに春日居も覗き込んでくる。
呼び出したカタログには、ビル外壁の足場に立つ作業員の写真が2枚並んでいる。横を向いている作業員の背景にはビル群が並んでおり、彼が立つ足場もかなりの高所であることがわかる。
2枚はまったく同じ写真だ。だが左の写真は何の変哲も無い作業風景が映っているのに対し、右の写真では大きなものが映りこんでいる。
作業員の立つ足元から水平に、薄い青の床が広がっている。彼の背後も同様で、足場手摺の外側に1mほどの場所に垂直の壁が立ち上がり、周囲を囲んでいた。
「恐怖症対策の視覚補助ソフトウェアの一つで、作業員の視認性を意図的に下げるものです。設定で見るべきものを指定することもできます。あとは防風性のたかい作業着や安全ベルト。これはドローン救助システムにも対応しています」
「貸して、いただけるんですか?」
「こちらの外壁清掃には興味があったんです。ぜひ参加させてください。それに、今日の言い訳にもなりますから」
自身でかきむしった髪を手ぐしで整え、牧野氏が身を起こす。不安げな表情は抜けないが、いくらか血色が戻り始めた。
「よろしくお願いします。理事長の説得には私も伺います」
「あと、一つお願いが」
「私にできることでしたら」
春日居に目配せし、コートの下からベルト状の運搬ロボを引き出す。彼女も上着に隠していた万能鍵や透視撮影機をテーブル上に並べた。
「こちらのお部屋に荷物を置かせていただけませんか。これを持ったままでは警察にも理事長にも申し開きができないので…」
「まかせてください」
「あの、もう一つよろしいですか」
遠慮がちに春日居が小さく手を上げた。ちらちらと壁のほうを気にしている。
「室内向けのインターホンカメラがあるみたいなんですが、住戸内の監視とかは…」
「その点は大丈夫だと思います。ここの住民が通報されたことはいまだにありませんから」
牧野氏につられて頷いた。もし室内まで管理システムが監視しているとしたら、その内容を最終的に理事会が確認することになる。それは明らかなプライバシー侵害だ。そんなシステムは認められない。
もし途中の改造で室内監視を実装していたとしたら、いま頃理事長が玄関先に立っているだろう。
牧野氏は茶を一口すすり、ため息をついた。
「住民同士の仲はいいんですよ。不思議と。私も良くしてもらってます」
苦笑とともに首を振る。その表情には明るさが見え始めていた。きっとぼくもそうだろう。なんとか、今日を乗り切れそうだ。
「牧野さん。ありがとうございます」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「センセ。理事長の説得が残ってることだけ、お忘れなく」
春日居の釘刺しに、牧野氏と同時にため息をついた。
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