近未来建築診断士 播磨 第4話 Part5-3
これまでのあらすじ
播磨宮守(ハリマミヤモリ)は個人営業の建築診断士。
とある町内会より依頼を受けた播磨は高層マンションを診断する。
部外者を警察に通報してまで排除しようとするマンション理事会に手を焼きつつ、最近入居した牧野氏の協力を得て外壁清掃活動に参加することに。
近未来建築診断士 播磨
第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.5『観察と考察』 -3
メンテナンスバルコニーは建物の外周をぐるりと取り囲んでいる。その中で外壁が占める量は2割程度で、あとの大部分は胸くらいの高さのバルコニー手すり壁となっていた。入居者が内側から清掃する決まりでもあれば、ぼくらの作業は不要だろう。
ほかの高層建築物と同じく、もともと外壁清掃はロボット式であったらしい。バルコニー手すり壁の頂部から数センチ下にレールが敷設されており、先ほど出てきた鉄扉の隣にあるハッチに繋がっていた。昔はあそこから清掃ロボットが出てきて外壁を廻っていたのだろう。
牧野氏は熱心にそのレールをモップで磨き上げていく。風雨によって溜め込まれた埃が、真新しいモップをどんどん黒ずませていく。数回拭くたびに腰のクリーナーでモップを洗浄しなければならなかった。
その様子を横目に掃除しながら、手袋で手すり壁をこする。軽量コンクリートパネルの上から乳白色の自己修復塗料を塗られた手すり壁はつるりとしているが、作業手袋で強く擦るとコンクリのような凹凸が指先に感じられるようになる。目立たないように、パネルとパネルの間を狙って強くこすると、手袋の指先が白く汚れた。
それまでと同じように壁面をモップで撫ぜ廻し、腰のクリーナにモップを差し込む。同時にクリーナーの裏側に隠した小袋に指先を差し入れ、小削ぎとった粉を入れた。
『オッケー』
グラス上に春日居のチャットが走った。
『どう?見た目になんかおかしなところは?』
『ない』
地上からの写真撮影で見えないものがあるのではと期待していた。いまのところは期待はずれだ。
『ここでなんも出なかったら、今度こそ終了だね』
『聞き耳注意』
『はいはい』
軽い調子の文章が流れ、チャットがそれまでの通信履歴と一緒に消えた。いかに外壁にカメラの一つもないとはいえ、『網』を相手にしているかもしれない以上、用心するに越したことはない。彼女もそれはわかっている。わかっているが、なにも出てこないこの状況に相当苛立っているようだった。
それはぼくも同じだ。こんな危険とタダ働きをして、そのうえ成果なしだった日には先生に呆れられる。だからできるだけサンプルを集めるのだ。
それに、もうじき目当ての場所にたどり着く。
手すり壁を拭きながら網目状のグレーチングをカニ歩きしていく牧野氏を見る。そこから視線だけ下げて足元を見下ろすと、だいぶ下に排気ダクトがいくつも連なっているのが見えた。11階管理サーバーセンターのあたりだ。
腰から巻尺を取り出し、あたりを見渡す。手すり壁の内側にある雨樋縦管に見当をつけ、ちょうどその裏側当りの壁面に取り付けた。クモのような爪で壁を掴んだ巻尺は、そこからするすると滑り降りていく。目盛りが刻まれたスチールテープをカタツムリの足跡のように残しながら。
時折風にあおられながらも真っ直ぐに降りていった巻尺は、11階の排気ダクトの上で停止した。グラスのサブウィンドウに巻尺の内蔵カメラからの映像が写りこむ。
11階管理サーバーセンターが収まる部屋にバルコニーは無い。バルコニー部分が壁で覆われ、室内に取り込まれている。サーモスキャナーで見る限り、ダクトから出てくる排気はそれなりの熱さだ。バルコニー部分がサーバー機器の冷却システムになっているのかもしれない。
巻尺から周囲を見渡してみるが、とくに目に付くものは無い。定期的な清掃のおかげか、突き出したダクトの上に積もるホコリは少なかった。
これ以上は巻き尺を居住者に見咎められるかもしれない。モップを動かしつつ、端末から巻尺へ巻き戻しを指示した。
「そちらはどうですか?」
牧野氏も熱心にモップを振りながら、視線だけで巻尺を指す。降りた時よりもゆっくりとした動きで登ってくるそれを見つつ、首を振って見せた。
「みなさん熱心に掃除されてますね。汚れなんてほとんど見当たらない」
「僕ら、いらないですよねぇ!」
バラクラバで口元は見えないが、牧野氏が呆れたように笑っているのがわかった。それにしても今日はよく笑う。興奮しているのは間違いないだろう。作業が長引くと疲労で倒れるかもしれない。
「早め早めで行きましょう。ここ寒いですし」
「了解です」
牧野氏は勢いよく頷いて手を早めた。つられてごしごしと壁をこする。
軽く立ち上がった拍子に、バルコニーの内側が見えた。
大小様々なプランターに園芸品種と思しき草木が並んでいる。その向こうに大きな窓ガラスがあり、カーテンが開け放たれた室内が見渡せた。
老婦人がリクライニングチェアに腰掛けてテレビを見ている。ゆったりとカップを傾けてくつろぐその姿に、ちらりと苛立ちを覚えた。