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The Endに見た未来

2000年、当時技術者として二千年問題の対応を終えた自分は、携帯電話としてドコモの「ドッチーモ」を使っていた。これは携帯電話とPHS(ピッチ、PHS自体もう知らない方も居るかと思いますが割愛)が一台になった当時でも珍品的な製品で、回線契約もそれぞれのため(番号も2つある)、料金もそれなりにかかる端末でした。当時はまだ地下などでは携帯電話の電波が入らないのは当たり前で(勿論まだ携帯にアンテナがあった)、PHSだと利用範囲は狭いが都心に強く、地下でも繋がるのが利点として、まだまだPHSの利用者も多かった時代です。だからこそPHSだけだと心許ないという一部のユーザーにしてはこの「ドッチーモ」は半ば力技で可笑しくもありながらも、なかなか便利なものでありました。当時仕事で深夜に電話が来る事も多かった自分としては、「クラブに居たので電波が繋がりませんでした」とはなかなかいかなかったというのもあります。
この当時のドコモ端末と言えば「i-mode」が搭載されてました。この頃はまだ画面もモノクロの液晶が主体で、カラー液晶が一部の時代、携帯でのWEBアクセス機能も無く、携帯に標準で搭載された天気予報などのごく一部の機能(しかも有料)しか「オンライン」と呼べるものが無かった頃に、i-modeは対応サイトこそ限定的なものの、WEBアクセスが可能であり、各種i-modeサイトなどが出来ていました。今こそスマホでのWEBアクセスは当たり前ですが、「PCじゃなくても外で気軽に携帯で情報が得られる」というのはかなり画期的なものでした。
前置きが長くなりましたが、そんな中で有料ながら面白い試みをしてたi-modeサイトが、プラスティックスの立花ハジメさんによる「The End」でした。

サイト設立当時の立花ハジメさんのインタビュー

立花ハジメさん、藤原ヒロシさん、中西俊夫さん(TYCOON TO$H)、山口小夜子さん(!)、横尾忠則さん(!!)、サマタマサトさんなどなど、プラスティックスからMAJOR FORCE人脈から数々の尖ったアーティストまでが、日常や色々なアイデアを綴る素晴らしいスペースでした。特にこの頃でも山口小夜子さんの様子が知れたのはかなり貴重でした(いつも「フワフワしてる」と表現されていた)。勿論この時代、基本文章のみ、プレゼントとしてちょっとした画像(写真ではなく画像、ロゴなど)があるだけでしたが、他にもMIDIの配信(!)や、Tシャツの通販(勿論基本メール)があったり、当時にしてはかなりこれは進んでいたと思います。中西俊夫さんのTシャツを購入した際には中西俊夫さんのMIX MD(プレイリストなど手書き!)を頂いて、これは今でも宝物とさせていただいてます(内容も最高!)。

改めて当時の立花ハジメさんのインタビューを見ると、ホントに先を見てたんだなと、めちゃくちゃ面白いです。スマホが当たり前の今だと信じられないかもしれないけど、2000年当時でこの発想が出来てたのは改めてすごいなと思います。


だから僕のニュー・アルバム『The End』はJAVAが動くようになると、ダウンロードした人が自由に楽器を選んだり音色を選んだりとか、それから今まで専門家がやってたアレンジとかミックスを、一切専門知識なしでできるようになるんだよね。今こういう話してると難しそうに聞こえるけど、年末に機種が503シリーズになってiJAVAっていうのが出るんだけど、そうなると僕が毎週やってる、その曲の作風とか形態はすごい勢いで変わっていく。年末にそれが動き始めるようになったら対応した曲を配信してくことになる。
barks

この頃はまだPC文化、CD-Rの普及で音源はCD-Rで気軽にリリース出来るようになっていたものの、mp3のダウンロードはまだまだ、携帯も着信メロディという名のMIDIの時代に、「曲配信」という発想が改めてすごい。
これらの事が「The End」でも語られ、当時電車や仕事の合間にこのサイトを見ていた自分は来たるべき時代に思いを馳せていたものでした。

残念ながらこの後の携帯電話の急激な進歩の中で、「The End」は大きな動きにはならなかったものの、今では当たり前のSNSやスマホの時代を予見していた素晴らしいサイトだったと思います。

上記インタビューの最後、

僕も半年後ぐらいまでは想像がつくけど、1年後は全然想像つかない。だからこそ今からやっておかないとダメだなって思う。
barks

ホントこの言葉は今でもパンクでカッコいいなあと思うのです。
今でもこの言葉は心がけるようにしています。

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