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27。

「こんな晴れた日には、死にたくなるよね」


顔の隠れた彼がそう呟いたので、
私は嘘みたいに晴れた空をもう一度見上げて 〝そうかも〟と返した。

深く考えないことが無い彼と私の間で交換する言葉は、多分いつだって嘘がなかった。
嘘がないからこそ相手を追い詰めて、いつも息苦しかった気がする。

晴れた日には死にたくなる。
その言葉は長い長い時間が経った今ですら、
たまに思い出してしまうほど印象的だった。

よく晴れた、あたまが悪くなりそうな夏の炎天下。見渡す全てが青、青、青で、溺れてしまったのかもしれない。

27歳で死んでしまうロックミュージシャンみたいに、27歳になったら死ねるんだと本当に思っていたでしょう。
希死念慮に取り憑かれて、生きることより死について思いを馳せる方が心が楽だった。

*****

恋愛があまりにも苦手だと、はっきり自覚がある。これは自他ともに共通認識であるくらい、実際の自分を知ってる人ならみんな納得するだろう。

今の年齢になるまで、それなりに恋愛はしてきた。
遠距離恋愛もしたし、かなり長く付き合ったことも、同棲したこともある。結婚の約束をしたことも。
だけど、結局どれもうまくいかなかった。


誰かと恋仲になると、私はいつも自分のバランスを崩してしまう。
心を全部明け渡してしまうように、自分の中から自分がいなくなってしまう。
軸が自分に戻らない。
だからいつも落ち着かなくて、緊張状態に晒されてるような不安定な心地になる。

類は友を呼ぶと言うので、そんな自分と付き合う相手も今になって思えばなかなか歪んでる。
まるで不幸になる為に一緒にいたのかと思うような。

一度だけ、そこまで好きではない人と付き合ったことがある。
誠実で心優しく、私個人以前に〝女性〟を大切に扱うような人だった。
こういう人もいるんだなぁといつも不思議に思って、穏やかに過ぎていく毎日は随分長く続いた。
同棲した後もそれは変わらず、静かで穏やかな毎日。

でもふと、静かな部屋でふと思い出してしまった。本当にこの人のこと好きだっけ?
結婚して、子供が欲しいと言われた。
この人ならきっとあたたかい家庭をつくって、守ってくれるだろうなと分かってるけど、
どうしても気持ちに応えられなかった。

とてつもない罪悪感。

家庭環境が良くない家で育って、結婚や子供を持つことにどうしても前向きになれなかった。
こんなにいい人なのに、急になにひとつ釣り合わない気がして罪悪感が日に日に大きくなった。
私じゃない方が、結果的にこの人は絶対に幸せになれる。


同棲を解消してから随分と時間が経ち、
あの頃の彼より私は歳上になった。
大事にされてもされなくてもうまく付き合えなかった自分を、落伍者のように思ってきた。
向いてなさすぎる。
傷つくのも傷つけるのも嫌だ。
そう思って、逃げてしまう癖がついた。


引っ越す前に彼を何度か街でみかけたけど、結婚したみたいですごく嬉しかった。
あのまま時間を奪わなくてよかった。
本当に心からそう思った。

****


色々な経験が積もって臆病になる。
ひとりであれこれ考えを改めても、いざ向き合えば全然役に立たないかもしれない。

自分の為に生きるって、笑われてしまうかもしれないけど私にとっては本当に難しい。
自分をまず大切に、そして相手も。
当たり前にみんなが出来てるようにみえるから、ちょっと落ち込むこともあるけれど。

時間が経った今だからこそ、苦しかった時間を解いて正しく咀嚼することができる。
咀嚼して全部飲み込んでしまったら、ちゃんと私の血肉になるかなぁ。
苦しかった時間の分、自分にも人にも優しい人になれるといいけど。


***


ところで今日は、久しぶりにカフェに来てnoteをかいているのだけど。
時間がゆっくり過ぎてくようで、なんだか気が抜けちゃうなぁ。

こんな時間を共有できるような、穏やかな自分でいたいよな。

今日はとっても晴れていて、日向が気持ちよかった。
〝晴れた日には死にたくなる〟
その声をなんとなく思い出した。だからこのnoteを書いてるのかも。

あの時〝そうかも〟って言ったのは正直な気持ち。
でも今は全然そう思わない。
晴れた日には外に出たくなる。
日陰に咲く影絵や、見上げた神社の杜が瑞々しく揺れるのを見るのが心地いい。

27歳で死ななかった私は、これからもちゃんと光と影をみつめて、心をいつも自分に引き寄せて生きていく。

そういう生き方を、今日も練習してる。

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