サタデイ・スーサイド
ーー死んでいる、そう思った。
朝、目覚ましの耳障りな機械音を止める時。
飲みたくない薬を流し込んで、
食べたくない朝食を飲み込む時。
JRに乗り換える駅のプラットホーム、
すれ違う人の舌打ちを聞いた時。
誰かのビジネスバッグの角で腹部を強打した時。
理由も向上もないまま、労働をしている時。
惰性で消費する毎日の中で、
私はもうどこにも生きていない。
心の病は不思議で、光はどんどん遠ざかるのに、闇の住人は笑みを浮かべてすぐ隣りへやって来る。
〝ここへおいでよ、一緒になろう〟と、
赤黒い水の中で互いに首を絞めあっては緩め、延命を繰り返す。
いっその事、一思いに殺せばいいのにと、考えられなくなった頭の中に浮かんでは消える。
だから、閉ざすのだ。
闇の住人さえも拒絶して、本当にもうどこへも誰の手も届けられない奥底へ、
一人きりで沈んでしまうのだ。
ずぶずぶと音を立てて。
そうすればもう、世界のどんな音も聴こえない。
自意識と自堕落の海の中で、
私は自分の首だけ絞めていれば良い。
それはとても醜くて美しい自画像。
私が死に続けている事実を明日へ更新していく自傷行為。
外側は綺麗なまま、私の精神は腐り落ちていくのだ。
誰にも気づかれずに。
ーーーーでも。
いつからだろうか。
私は〝彼女〟と出会っていた。
そこに運命論を感じたかは定かではないが、気がついた頃には〝彼女〟と出会っていた。
あの頃の彼女の話をしよう。
彼女は音楽家だった。
最初の印象は〝子供のような人〟だった。
世間や偏った正しさに傷つけられて、
純粋な残虐性を持った子供のような人。
痛みや苦しみを躊躇わず自分の世界一杯にばらまいて、
血まみれになったまま踊り続けているようなイメージ。
ここまでストレートに内側の色彩を爆発させる彼女の事が、私は苦手だったかもしれない。
内側に鍵を掛けて生きている私には、
そこに共鳴を見るのがたまらなく怖かったのだ。
彼女と私の違い。
彼女は絶望を味わう度に、その精神の純粋性を強くしていくように見えた。
内側から生み出すことで、誰かの心を救おうとしている。
世界を救おうとしている。
そう感じてしまったら、私の奥底に掛けられた鍵は壊れてしまった。
私達は決して、共依存したいわけではなかった。
慰めあって、舐め合って、
醜くて美しい世界へ乖離してしまいたいわけではなかった。
そこに見出したのは、
それぞれが自分の手から生み出す確かな光。
その光源がほんの少しだけ持つ交点。
その小さく確かな灯り。
それを感じ取れる幸いについて。
クリスマスの教会のキャンドルのように、小さな灯りが愛や優しさに姿を変えて、誰かの手に、心に循環していく。
灯っていく。
そんなイメージで。
彼女と出会ってしばらく経ったいつかの土曜日に、私は自殺した。
「乗り越えられない哀しみなんて、
ないと思いませんか」
純文学の彼女は心の引き金を引いて、
その銃を私へよこした。
その場にいた一体何人の人が彼女の言葉を正しく理解できただろう。
音と感情の大洪水に巻き込まれながら、
昨日までの死に続けていた「私」の葬送を感じた。
生きたいと思う強い意志が今すぐ見つからなくても、
その手にきっと誰かを自分を癒せる光が眠っている。
どんな人にも。
涙で世界が逆さまになっても、
正しさで首が絞まっても。
その美しい青が眠った土曜日、
いつかの墓標になって、ここからでもあの日がみえる。
きっと何度でも。
彼女は土曜日の救済者か、殺人者か。
それとも彼女自身も自殺者なのか。
音楽で人を殺す、なんて引用があるけれど、あの日の温かな音楽の葬送は確かにそれだった。
その音楽が鳴り続けている限り、
どこへいても貴女の心と私の心は小さな交点を見つけ続けていける。
それは人生において、
創作において、
本当に素晴らしいこと。
そう感じることで、私はまた前を向く。
世界にはまだまだ、
見たことのない美しい感情や言葉が眠っている。
それを自分の内側から、
彼女の作品から出会えるだろうこれからを、とても愛おしく思う。
Saturday Suicide.
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