時のゆくさき
人がまばらな夜のターミナル駅で、
なんだか溜息が出る。
何かに悲観しているわけではないけど、
疲れているわけでもないけれど。
もっと根源的なものについて、深く思案したいような気持ちが消えないの。
表層的なものばかり 惑わされたくないからさ。
見えているものでしか判断できない価値観は欲しくない。
でも想像は、
想像することは果たしてあっているでしょうか。
分かりあおうとする距離にあるものを、
幸福と呼べるのかもしれない。
それでも手が届かないものばかりに魅入ってしまうのは、今を大切にしていないことになるのだろうか。
この世界に最高ってどのくらいあるのかな。
今は埋まらない距離を想像で補う。
想像にはきっと、知らずに妄想が混じるかもしれない。
時間とともに距離が縮まって、
その輪郭に指先が届きそうなその時
自分の想像が、甚だ間違っていた事に気がついたら?
その先を私は続けていけますか。
なんだか最近そんなことばかり頭をよぎる。
傷つきたくないわけではないんだ、
その覚悟が無ければ見たい景色は見られないもの。
ただ、
強く信じ切ることがたまに怖くなる。
傷つくだけならいいけれど、
虚無を抱えて生きるのはもうたくさんだ。
理想ってきりがない。
だけど今自分に出来るのは、想像でも妄想でもいいから描いて前に進むことだけなんだとも感じてる。
いつだって自分に見合っている現実を受け止めて、
判断していくしかない。
選択の連続。
その先にしか積み上げられないものばかり。
とは言え、煮詰まり過ぎて遊び心がなくなってしまっては全く意味がないからなぁ。
何のために今を生きているのか忘れずに考え続けたい。
たくさんの時間を過ごして、
気が遠くなるほど暗がりにばかり目を向けてきて
それでも帰り道にふと気がついたら
今は2020年の冬で、全ては過去になっている。
毎日ひとりで泣いて過ごした時間も
バラバラにしてしまいそうに狂気じみていた思考も
他人を極端に嫌った毎日も 薄れていき過去へ。
時間に押し流されるようにして自意識は作り変わっていくみたい。
ここに来て色々な視界が開けてきたのは、
そんな時間が降り積もってできた今だからだと思いたい。
脱線しながら生きてきたけど、今日に辿り着いて良かった。
そんなことを ふと帰り道に思ったので。