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Making All Things Equal / The Sleepwalkers

去年の6月、
資生堂ギャラリーで初めて体験した冨安由真さんの個展、くりかえしみるゆめ。

今年1月23日、代官山アートフロントギャラリーにて開催されていた個展を再び観にいきました。
観に行ってから半年が経ってしまったけど、
今日また新しい個展を観にいったのでこちらから先にあげたくて、
書きためていた言葉をやっとまとめました。

今回年明けに個展をやると聞いてからとても楽しみにしていたので、
昨年6月にみたゆめの中に度々心が還っていく感覚がありました。
長くなりそうな予感ですが、できるだけ丁寧に、
私なりの感覚で感想を書かせていただこうと思います。


「Making All Things Equal / The Sleepwalkers」


扉を開いた瞬間の、現実からの切り離され方が凄まじかった。


去年から何かとお気に入りの恵比寿、代官山エリア。

この日は良く晴れていて、冬の冷たい空気で街がより一層澄んで見えた。
不思議な空気を纏う街。
平日の午後、穏やかな彩り。

初めて訪れた代官山アートフロントギャラリー。
現代的でスタイリッシュな空間。
ギャラリー特有の独特な雰囲気からなのか、
静謐な時間にみたされている気がした。


部屋に入る前ドアノブに手をかけた瞬間に、
受付の女性が何か言ったのをはじめききとれなかった。
夢から醒める瞬間の最後に見聞きした内容をしっかり覚えているようでいて、まったく曖昧な時がある。
その感覚と似ている気がした。

え?

思わず聞き返すと、左の扉は開くのでそちらも是非見てみてくださいと丁寧で静かな声がかえってきた。


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なるべく音を立てないように、静かに扉を開く。

前回初めてその境界を体感した、資生堂ギャラリーで感じた同じ高揚感。
薄暗い室内は無人。
しばらくドアの前に立ったまま、室内を満たす
静謐な空気と自分との境目がだんだん無くなっていくのを感じていた。

現実からの切り離され方が凄まじい。

ひとつ扉と硝子を隔てた向こう側からの、
通りの音さえ耳に届かなくなっていた。
感覚が研ぎ澄まされるのか、
集中力が高まり、不可思議でどこか懐かしいあの部屋へ心が戻ったのだと感じた。

穏やかで、優しい気持ち…と言うのが適切なものか分からないけど、
前回も感じた懐かしいような落ち着く感覚が強かった。
初めからここに、ずっといたような。
ずっと知っているような感覚。

子供の頃から変わらないことがひとつあって、
日中ひとりで部屋にいる時、
照明をつけずに外から入る少しの光だけで
ぼんやり明るい気配のする部屋が好きだった。

今回お昼過ぎにここを訪れたので、
通りからの光がほんの少しだけ入るこの部屋は
本当に幼少期の記憶と同一かと思うくらいだった。

空間そのものが浮遊しているような感覚。
壁面にはりついたベッドや椅子、
天井のドアや窓、ランプ。

とても驚いたことがあった。
自分の中で、
幼少期少しだけ住んでいた生家のマンションの空気感が今でも自分に影響を及ぼしている感覚がずっとある。
冨安さんのインスタレーションはどことなくそのマンションで感じた空気感と似ているような気がして、
だからこそ懐かしく感じたり、子供のような高揚感を覚えるのかなと思っていた。

壁面にはりついたテーブルの上の本。
開いたページの文字をなんとなく眺めていた時、
手前に浮かぶ椅子が目に入った。

あれ?

思わず椅子の背もたれに触れそうになった手を引っ込める。
生家においてあった椅子とあまりにも似ていた。
子供の曖昧な記憶ではほぼ同じものだと思う。
それを見たとき、ああやっぱり必然として出会ったんだなと思うと同時に、
幼少期の感覚を私は大切にするべきなんだと強く感じた。

足元や上にも鏡がたくさんあった。
鏡から覗く世界。
子供の頃、
大きな鏡を手に持ち、そこに映る天井を覗き込みながら部屋を歩き回って、
空中浮遊しているような感覚を楽しむ遊びをよくしていた。
それを急に思い出す。
この部屋の浮遊感は、自分の中に確かにあったもの。

南京錠の掛かった、ペールグリーンの扉。
この向こうに、何か大切なものがあったのかな。

左側の開く扉の向こうは通りに面していて、
その空間にいると歩いている人がみんなこちらを見る。自分も無機質な展示物になったようなふわふわした心地。。
外と内が逆転しているよう。

前回は部屋によってはそこにいる気配を感じるような気がしていたけれど、
今回は不在だと感じた。
名残のような空気の中へ溶けて、自分こそがこの部屋の気配なのかもしれないと思った。

Making All Things Equalという言葉を調べると、
〝全てのものを等しくする〟という意味合い。

冨安さんのポートフォリオに、
荘子の斉物論の中の言葉だと書いてあった。

生と死、ゆめと現実。
相反しているようで、これらは等しく隣り合わせている。
ゆめや死を見つめることは、その隣にある現実を生きることとequalになるのかも。
この境界が曖昧になって、平等になる感覚は
現実だけをみて生きているとなかなか気づかないかもしれない。

不在の誰かからしたら、私がゆめなのか死なのか。

隣り合わせていると思うからか怖いと感じることがあまりない。見る人によっては怖いと感じるのかもしれないけれど。

この部屋の扉を開くとき
夢から覚める時のぼんやりした感覚と似ている気がしたと思ったけれど、
そうではなくて眠りへと落ちて行く感覚だったかもしれない。
現実の隣にあるゆめへの境界線が、
あの扉だったのかもしれない。

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インスタレーションの反対側の展示スペースで、
「The Sleepwalkers」にあたるのかな?絵画の展示もあった。

冨安さんの作るインスタレーションは怖いと感じないのだけど、絵画は少し怖いなと思う。
仄暗いインスタレーションの中で見るのと、
明るい白い部屋で見るのとでは受ける印象がかなり違う。
明るさの下で見るのは、私の体が完全に現実に戻って来ているから怖く感じるのか…

それでも脅かしに来ているような怖さではなくて、
どこかユニークというか、温度を感じるような。
なんだか気になってしまう不思議な絵画だと思う。

いつも思う、絵を描く人って本当にすごいよなぁ。。
白いキャンバスの上にどんな世界だって創れる。


半年も経ってしまったけど、noteに残せてよかった。
今日また新しい個展を観に行って来たので、
今度は早めにnoteに書きたいと思います。

#冨安由真 #MakingAllThingsEqual #TheSleepwalkers #個展 #代官山アートフロントギャラリー #くりかえしみるゆめ #日記

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