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buddy
電話がとても苦手なことを、折に触れて思い出す。
これは随分早くから自覚している不得手。
そんな自分がここ数年断トツの回数電話で話しているのは、どう考えても仕事先の営業担当さんしかいない。もしかしたら人生で一番かも。
2歳年下の彼はいつも屈託がなく、
緩すぎず詰めすぎずないい塩梅で物事の落とし所を見つけ出してくれる。
3年間 店責と営業というある種のバディのような立場で接してきた。
1年目は散らかった問題が一向に片付かず、
平行線のまま憤りを感じる日々だったけど。
長い時間をかけて相手を知っていった時間の先に、
今の信頼関係があるんだと気づいた時
電話から聞こえる明るい間の抜けた声がなんだか愛おしいなと思った。
芸術を通して誰かや何かを大切に思うことはあるけれど、
日常の中でこの人がこの人として存在することが素敵だと気づくことが私はあまりにも少ない。
お互いそれぞれの役割と環境の真ん中に挟まれて
楽とは言えない立場ではあるけれど
いつか私が自分の胸中を打ち明けた時に、
「あなたには幸せになってもらいたいです。
だからその決断を僕は尊重します。
むしろ今まで頑張ってくれて本当にありがとう、
感謝しています」
第一声にそう言ってくれた。
彼の方がややこしい立場にいたはずなのに、
いつもの明るいちょっと間の抜けた笑顔でそういってくれた事。
彼にとってはなんて事ない言葉だったかもしれないけど、
その事を私はずっと覚えていて、
相手に対しても同じ事を思った。
もっと会社に彼みたいな人を大切にしてもらいたい。
どんな時も前を見て、
周りを引き上げるような明るさをもって仕事ができる人はそんなに沢山いないのだから。
あと少しでこのバディ関係は解消される。
この仕事をはじめてからいい事の方が少なかったかもしれないけれど、
彼の人柄のお陰で何度も救われたし、
その度にもう一度、もう一度と何度も前へ向き直ることができた。
なんだか本当に尊いな。
この人と仕事ができて良かったな。
前へ進もうとする時、お別れはつきまとう。
寂しい気持ちもあるけれど、
出会えた事に意味があるように、
そのようにこれからを生きていけたらいい。
周りの心配しているよ、という言葉を
私はいつも丁寧に受け取って来なかった。
向けられた優しさはいつだって、
消化不良を起こして私のバランスを崩してしまう。
温かい言葉を紡げる人を、私は一番信じていたいのだと気づいた。
そしてできるなら私も、温かい言葉を紡げる人に。