#17 pray for
真夜中に通りに出て、空をみあげる。
路地裏は空が高くて広いから
いろんなことを思い出して少し寂しくなる。
閉まっている商店の暖簾が揺れた。
目に優しくないコインパーキングのネオン。
ひとつも明かりの点っていない廃マンション。
御伽の国への入口のような、
煙草の香りが染み付いたBARの扉。
環状線。
私は昨日と今日の境を行ったり来たりして
心を宥めるように目を伏せる。
暗闇にはどんな色も映すことができない
そのことをずっと考えている。
ささやかで良い。
微かに光を内包してさえいれば。
瞳の端に、明滅するその色が届いてくれるのならば。
感情には数えきれない揺らぎの色がある。
あなたが好きな青と私の好きな青が違うように、感情にもはっきりとは断定できない無数の揺らぎがあるよね。
同じ言葉で表現しても、
伝え方や受け取り方が同じではないように
生まれ続ける感情の色も全く同じにはなれないんだと思っている。
ひとりひとりが持つことを許された、
心という見えない感覚器官。
悲しいことが起こるたびその途方もなく真っ暗で、錆びた杭を打ち付けられたような鈍い痛みに耐えきれず、のたうち回ったり死んだように閉ざしたりして生きてきた。
近しい人らに穏やかな人だと思ってもらえることが少なくない。
でも実情は違う。
自分の感情の激しい波についていけず、手放してしまいたいと途切れそうな時間は長かった。
悲しみや苦しみに慣れてしまうことはないけれど、長く自分の心と過ごすうち向き合い方を覚える。
心を置いてきぼりにしたりされたりすると誰しもそこに痛みや苦しみが生まれる。
だから想像力が必要で、自分の人生でまだ出会ったことのない色を否定せず、
それがどんな色をしているのか静かに見つめる時間が必要なんだ。
そうした丁寧さを心の片隅に置くようにしたら、随分生きやすくなった。
自分から生まれるどんな感情も一度否定せずに受け止めて。
綺麗な感情ばかりでは勿論ないけれど、
醜い側面だって有って当然じゃないか。
積み重ねていくたびに、穏やかな人に少しずつ成れているような気がした。
それでも毎日は、容赦なく悲しいニュースばっかりだね。
美しい人がこの世界から居なくなってしまって1週間と少し。
何をしていても気がついたら考えてしまう。
こういう種類の悲しみがあることを、
生まれて初めて知った。
こんな感情が自分の中に生まれていることにずっと戸惑っている。
その綺麗な笑顔を目にするたび、涙が出て仕方がない。
毎日数えきれないくらいの人が死ぬ。
命の価値は平等であるはずだけど、
毎日ほとんど知らないどこかの誰かが必ず死ぬ。
私が知らないだけで、
気に留めることが少ないだけで、
意識を外側に向ければたくさんの命が世界から居なくなっている。
優しい心を持つことで
穏やかな心を持つことで
想像力を養うことで、それを言語化することで
巡り巡って誰かの心を守ることができるだろうか。
大それたことなんて出来なくても、
綺麗事だと切り捨てられそうな小さな事でいい。
これからの人生を生きていく中で、私にはどんなことができるのだろう。
真夜中になると、そんなことばかり考える。
答えの出せない証明することもできない
不確かな夜を手探っているような。