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Alfons Mucha

新国立美術館で今日まで展示されていたミュシャ展に行って来ました。

去年のルノワール展を観に行った時に
今回の企画展を知ってから、
1年以上楽しみに待っていたのですが、最終日にやっと観に行けました。
(70分待ちand激混み。次からは気になるものは早めにいこう…と誓った)



私が初めてミュシャを知ったのは、
分島花音さんというチェリストの
シンガーソングライターさんがきっかけでした。
彼女は音楽を通した世界観がとても素敵なのですが、それに勝るとも劣らないくらい絵も上手で素敵で。
そんな花音ちゃんが好きな芸術家としてあげていたのがミュシャでした。

私が初めて触れたミュシャは、
アール・ヌーヴォー時代のもの。
色使いや細かい装飾枠、華やかでいて温かい印象。何より描かれている女性がお洒落で今っぽく、
19世紀から20世紀を生きた芸術家ときいてとても驚いたのを思い出します。

タロットカードそのもののような神秘性と、どこか身近に感じる柔らかさ。
(舞台や万博のポスターや挿絵などを手がけていたことが、庶民の私にも馴染む理由な気もする)

私の中のミュシャのイメージは、
アール・ヌーヴォー時代のハイセンスで柔らかいお洒落なもの。
でも今回の企画展を観て、そのイメージが大きく変化しました。

今回の企画展最大のメインはチェコ国外で世界初公開となる、
《スラヴ叙事詩》全20作の歴史絵画の一挙公開でした。

表面的なことだけではなくてその背景も知りたい。
興味があることに対して私がいつも思うことです。
時代背景やそこにあるストーリーを知るために音声ガイドを借りてミュシャ展を回りました。
(ナビゲーターの檀れいさんの美声が神聖な展示室に似合いすぎててうっとり)

Alfons Mucha
(チェコ語発音はムハらしい。
アール・ヌーヴォー時代はミュシャ、
晩年のスラヴ叙事詩時代はムハ、と音声ガイドが分かれていて、
象徴的な二つの時代を表していて感動しました)

スラヴ叙事詩はスラヴ民族の歴史を綴った歴史絵画。
6m×8mの大きなキャンバスに描かれた絵画が壁面に並んでいるだけでも圧倒的な光景でした。

色使いや絵のタッチは勿論ミュシャなのだけど、アール・ヌーヴォー時代とは全く異なる力強さやメッセージ性がありました。
スラヴ民族が辿った苦難と果ての栄光。
その記憶がキャンバスの上に。

宗教や教会、神様。そして芸術。
今より不自由で、自由で。
色々なものが信仰されて糾弾された時代に生まれたこの絵画から、
100年以上後の時代に生きている私や誰かにもその熱量が伝わって浸透するみたいで。

芸術って本当に偉大だなと感じました。

この時代の背景をもっと知りたい。
鮮やかなキャンバスを彩っている色彩が、ミュシャの目に心に宿っていた時代を。

《スラヴ民族の賛歌》
叙事詩の最後を飾る20番目の絵画。

音声ガイドからミュシャの言葉として
「誰しも心を開いて相対すれば、
もっと分り合うことができると信じることが大切だ」と、
そんなニュアンスの言葉が流れ込んできた。

人と人とは最終的には分かり合えないと私は思って生きているけれど、
それは分かり合えないことを前提に放棄しているわけではなくて。

自分の根底にも、
互いに心を開けるのならば争わなくても受け入れることができると思う気持ちがある。

同じじゃなくていい。
違って当たり前だから、
それをせめぎ合うのではなくて
そうなんだ、と頷き合えたら最高だ。

戦争の起こらない平和な日本に生きていて、戦争をしない代わりに日々自分や他人の心を殺し続けているのだとしたら、

自分の生まれてきた意味はどこにあるだろう。

遠い時代の記憶である芸術に触れることで、普段は考えていないような思考回路にたどり着く。

私は心を豊かにしたい。
誰かの心も、豊かであってほしい。

栄光を極めたアール・ヌーヴォー時代のミュシャから、
故郷への想いを綴ったスラヴ叙事詩時代のムハまで。

観に行けて本当に良かった。
20枚の超大作とそのバックボーン。
美しいだけでは、華やかなだけではない確かなストーリーから今を生きてゆくヒントを得られたような。


閉館時刻を過ぎた美術館の外は、
雨が降ってました。
雷がなって、涼しくなった風が通り過ぎていく。

夏の気配。
なにかが変わっていくような、はじまりの気配。


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