「くりかえしみるゆめ」
SNSで偶然出会った展示会のお知らせ。
資生堂ギャラリーで開催されている、冨安由真さんの個展「くりかえしみるゆめ」
いつかのnoteにも書いた気がするけれど、
私は自分にとって意味のある、価値のある作品や表現や芸術に対する直感力を信じていて、
多くの場合外れたことがない。
考えごとをしていた夕方に、突然感じる直感力。
ほとんど義務的な気持ちで、
でもワクワクするような高揚感と一緒に初めて訪れたギャラリーに足を踏み入れた。
仄暗い受付を通って最初の扉を開けた時、
自分の心臓が ドクン、と音を立てたのが分かった。
形容しきれない感情。
暗がりの中、ひとりきりの小さな部屋。
わずかな怖さを感じた。
でもそれよりも強く感じたのは、既視感や背徳感。
壁にかかる少し陰鬱な絵画や、
英字の書物、飲み終わったティーカップ。
ランプの明かり、境界が曖昧な空間にすべてが口を噤んで沈黙しているような感覚。
しばらく一緒に沈黙していると、懐かしさに近い既視感の理由がわかった。
これは子供の頃の夢。
幼少から成人手前くらいまで、暗くてはっきり見えない、ほとんどモノクロに近い洋館や部屋の夢をよくみていた。
明滅する心もとないランプ。
乱雑なのに、どこか衛生的な部屋。
不可思議な気持ち。
この椅子には誰が座っているだろう?
後ろを通って隣の扉を開くと、廊下が現れた。
廊下へ続く扉を静かに閉じたら、
一瞬で時間が巻き戻ってしまったような、
幼い気持ちに支配された。
今思えば、ここがいつかの夢の中だと本気で信じて疑わない程のデジャヴ。
洗面台とひび割れた鏡。
鏡面を覗き込むと、顔の塗りつぶされた絵画の女が背後に映っている。
それだけ。
(急に他の人とぶつかって死ぬ程びっくりした)
次の扉。
ドアチェーンが外れた内側から開いたのに、
また部屋の中。
最初の部屋と似ている。
でもティーカップには砂が溢れて、床面からざらついた音がした。
同じ部屋の中にもう一つ砂だらけの妙に明るい部屋が。突然鳴り出す黒電話。
砂の部屋に掛かった、The Thinker.の絵画。
(リーフレットより)
ロフトへ続いているような階段と絵画、ランプがある部屋や、
今目の前で誰かが鏡に向かって服をあてがっている気がする、全身鏡と服や服らしき布が掛かっている壁面にハンガーラックのある部屋。
そしてその奥の部屋。
全ての部屋に共通して、
ひとりきりなのにそこに〝誰か〟の見えない気配を感じる。
綺麗なカトラリー。
4人分のテーブルセッティング。
時折部屋が暗くなる。
外から窓を叩く乾いたノックの音。
整えられた空間が妙な気持ちにさせる。
この部屋の扉を開くと、最初の部屋に戻ってきた。
相変わらずこの椅子には誰かが座っている。
砂の部屋にある似ている空間の椅子には、誰もいない気がした。
2回目の廊下へ出ると、左奥にあるどの部屋とも繋がっていない最後の部屋へ。
一番広いこの部屋が一番懐かしい気がした。
ひとりでに開閉するクローゼットの扉や、
相変わらず窓をノックする音。
急にスイッチが入る旧型のテレビや扇風機のぬるい風。
12:00が点滅するラジオから聴こえる小さな音楽。
誰かが、
〝この隣合わない部屋でくりかえしみるゆめが他の部屋なのかも〟とSNSに書いているのをみた。
そうかもしれないし、この部屋もやっぱり夢でしかないのかもしれない。
普通に起きたら怖い現象ばかり。
でも夢の中だと思うからか、どこか楽しくもあるようなある種の安心や安らぎを覚えるような懐かしさが心地よくもあった。
私の幼少の夢や浮遊感、無意識の世界とリンクしていたのだろうか。
この文章を書いていることにすら、デジャヴを感じている不思議。
何度も扉を通り抜け、振り出しなのか終わりなのかも分からないまま回遊する。
ひとつひとつのアイテムに意味があって、それでもそのどれもに意味が全く無いような。
すべては くりかえし誰かがみている夢。
目を覚まし、日常へと戻っていく。
寝覚めは悪くない。むしろなんだか良い感じ。
いつも感じている、非現実はすぐ隣にあるのだということを改めて強く感じた。
自分の心の中にあの夢は確かに広がっている。
真夜中。
誰もいなくなったあの地下室に今、どんな時間が流れているだろう。
想像してみる。
先に眠った誰かが、くりかえし今日の夢をなぞっているのかもしれない。
眠るのが少し、楽しみになる。
この展示をみることが出来て本当に幸せだ。
答え合わせができたような、
不在だった感覚がまた戻ってきたような。
たくさんの人がこのゆめの中を訪れますように。