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波のゆくさき。

3日後に満月なんだって、
iPhoneの天気予報が伝えている。 

雨の予報はしょっちゅう外れるけど、
満月の日は決まっていて揺るがない。
そういうものが私は欲しい。



入院していた1ヶ月間は、
とっても心が穏やかだった。
【平穏】とは、一人きりのこの病室内のことを指しているのではないか。
決まった時間に眠って、決まった時間に起きる。
早朝の光、曇った午前、台風の到来、雨上がりの夕暮れ。
早朝の静寂の中で物語をめくる。
雲が流れていく速さを指先で数えて、
遠くに見える特徴的なビルの名前を調べたりした。

そんな期間限定の日常の大義名分は体を治すことで、
その他のことはしてもしなくても良かった。

なにもしなくてもいい。
今は病気なのだから。
ゆっくりしていても、誰も咎めたりしないよ。


その大義名分が、
私の心を守ってくれた。
いつも何かに無理をしている。
無理をしないと日常が回らない。
(そう思い込んでいるだけ?)

日常はやめられないから、
私は止まれないし無理もやめられないまま生きている。

外界からシャットアウトされた衛生的な病室。
煩わしい生活音や気配
混雑する駅やバス停の喧騒
他人の声色や目線や感情の波
それらに合わせてやり過ごす、長い時間

その一切が消えた1ヶ月の間、
自分の本当の心が戻ってきた感覚がした。

それはとてもシンプルで
心と頭が一致して、回復してきた体がついてくる。
全ては一つで、自分はひとりだけだと実感した
確かな時間だった。

雑音が消えると色々な物事がクリアに見えて、
心から感謝できることや
手放すべきものが分かって
大切なことは本当に、いたってシンプルなことなのだとよく分かった。


それでも退院して、また同じ日常に戻ってきたら
私はまた〝同じ私〟に戻りかけている。
環境に適応するとはこのことだ。
完全に戻ってしまう前に、私は環境を替えなくてはいけないなと思う。

人と関わらず生きていくのは難しい。
でも、適切な距離を保てる環境を自分で選んだり
作り出したりして、
生きる場所を整えていく必要がある。

私の本当の気持ちや感覚を誰かと共有するのは
難しいだろう。

本当の気持ちはきっと正しくは理解してもらえない。
理解者が欲しいわけでもないけど、
誰かが理解を示して生きる場所を整えてくれるのを
待っているみたいなスタンスは、
自分を壊していくばっかりだ。


努力するのも嫌いだし、
深く考えては答えの出せないことばかり持て余して
体力も気力もなくなるばっかりだったけど、
貴重な1ヶ月間の、あの日常に流れていた平穏な時間を
また生きてみたい。

心穏やかに、
心踊るような柔らかい時間の中で私は生きていきたいんだと強く思った。


多分もう、頑張れない。
そう思ったから頑張らないことにした。
(とはいっても結局は頑張ってしまう矛盾)

矛盾を抱えつつも、環境を替えていこう。
替えた先へ適応した私をまた観察して、
次の行き先をまた決めたらいい。



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