
不純物
五感の全てが塞がっているような気分になる日は決まって、
思考回路が窮屈になってアイデアは浮かばないし、
どうしようもないことがどうしようもないくらい煮詰まって心がドロドロに濁っている。
普段自分が大切にしている感覚やリブラが急に鬱陶しくなって、
誰も本当の私を分かってはくれないし、見てはくれないと感じるのと同時に
私も誰のことも正しくは分からないし、
主観的に見ているに過ぎないことを思い出す。
最終的に分かり合えないのが人間で、
孤独であることがきっと正しいのだっていつか自分が言ったこと。
ポジティブに捉えるならそれはどこまでも自由で、
互いの世界を広げていける手段になるはず。
その逆は地獄だ。
降下気味な時にポジティブに考えようとするのは危険な時もある。
どうやっても心と身体が乖離してしまう時は、どうしたらいいのだっけ。
私はその答えが芸術であるように思うのです。
人間関係を遮断したくなるような時も、
芸術はそばにあるように。
それを創り出した誰かがいることを思うと、
どうやったって一人では生きていられないし、一人ではないんだと感じる。
自己啓発のような、
自分もそれをやっていて幸せで、
周りも幸せになるようなことをやるべきだって知らない誰かに言われたのを思い出す。
そんなもの私にあるかなと考えていたら、誰かの助けになることでもいいと言われた。
誰かの芸術が自分を支えてくれたように、
同じことが自分にも出来たらいいなと考える。
どうしようもなく躓いて煮詰まるし、
呼吸をするのを忘れてしまいそうな程窮屈な時に思い出せるような確かなもの。
掬った水の最後の一滴に残るような
本当のこと。