DIDについての考察
DID:解離性同一性障害
所謂、多重人格と言われる症状について。
「多重人格」漫画やアニメ、小説などで見かける方も多いと思う。
自分自身、辛い時や現実逃避したい時には
「誰か代わってくれないか」
と、思う事もあった。
しかし、現実にはほとんど存在していないのではないかと思うほど実際に目にすることが少ない症状ではないだろうか。
空想、妄想の様なものだろうと、自分は考えていた。
そんな考えは、自身が体験した…いや、現在進行形で体験し続けている現実によって覆された。
実際に症状としての「現象」を目の当たりにした今、私は考えを改めた。
私の身内に発症者が出たのだ。
多重人格と言うには少ないと感じる方もいるかもしれないが、元々私が知っている人格以外に2人の別人格が存在する。
簡単に説明すると、
主人格 :実年令通りで日常生活を送る
副人格①:18歳と自称するサバサバした人格
副人格②:3〜4歳と自称する幼児人格
という3つの人格が存在していることは確認している。
入れ替わるタイミングは主人格に一定以上のストレスがかかった時に偶発する。
嫌な事を考えないように意識を手放していると考えられる。
人格が変わる瞬間は、眠りに落ちてゆくような状態から呼吸が数秒止まり、目を覚ますと人格が変わっているというのが共通している。
そして、副人格が表に出ている時の記憶は主人格に継承されない。
要は覚えていないのだ。
自身に起こった何かしらの変化で気付く事もあれば、私が黙っていれば全く知らないままということもある。
しかし、副人格同士は若干の共有が可能である可能性もある。
それは別の考察でまとめることにする。
そんな物語の様な現実が現在進行形で私の生活の中に存在している。
この考察を書いて残そうと思ったのは、症状を確認してから思うところがあったからだ。
副人格達はそれぞれに名前を持ち、私の事も記憶している。
口調、呼び方は違えど普通に会話が成立する。
何度か副人格達と接触、会話をしていると、この子達の存在はいつか消えてしまうのだろうかと考えるようになった。
それぞれが別の名前を持ち、異なる性格を持っているというのは、1人の人間として存在するのと変わらないのではないか。
自分の肉体を持たないだけで、「個」としての性質は持っているのではないか。
あの子達が消えてしまった時、それぞれの記憶はどこにいってしまうのか。
人格が消えるということは「死」なのか。
肉体を持たない者は「命」をどう定義するのか。
私自身は副人格達は生きていると考えている。
いつか消えてしまう事を考えると、知人が亡くなってしまうような喪失感がある。
私にとってはもう「家族」なのかもしれない。
副人格達にとって「命」とは何だろうか。
そもそも「命」とは肉体に依存するのだろうか。
「魂」と「命」の関係とは。
そんなスピリチュアルな事まで考え出してしまった為、記録としてまとめようと思い至った。
少しずつ、自分なりの考察を残していこうと思う。
少しだけ非現実的な日常のまとめ 個人情報に関する部分は仮の設定です #解離性障害 #解離性同一性障害 #解離性人格障害 #多重人格 #DID