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本物の『普通』について

『優しさ』の定義について、最近よく考えます。
私が思う『優しさ』とは先ず、何を差し置いても『偽らない事』です。
その意味では、SNSで別キャラクターや別人格を作り込んで、実際にはなにも機能すらしていない架空の能力等をでっち上げて人を言葉で威嚇する行為は、わたし的には『優しさの欠片も無い行動』と言えます。
 
SNSとは言え、文字をタイピングしているのは紛れもない『実在の人々』です。
なぜ、そんなにしてまで自身を隠し、偽るのですか?
ありのままの自分で良いじゃないですか。
 
 
昨夜『私は普通の人間ではないですよ。』と言う内容のメールを、とあるSNSで繋がっている『或る人』から投函されました。
確かにそんなメールを人にいきなり送りつける感性は、普通ではありません(笑)。むしろ人として、変異しています。
 
『本物』とは、先ず必要最低限の道徳やモラルを兼ね備えた上で、尚且つ適材適所で個性や特殊な能力を発揮出来る人や現象等を指します。
私が目指すのはさらに斜め上の『普通』です。
 
本当に『特別な能力を持った人』は、その特別加減が常識を逸脱している為、むしろ社会生活に於いては『普通』を強固に演じる必要が出て来ます。
よって限りなく透明な水のように、能力やマインドがとても澄んでいるので直ぐに見分けが付きます。
 

 
人類は、自然神から見れば確かに普通ではありません。
普通が如何に大切か‥ それを真剣に考え行動出来る人は、実は『普通』の大切さを一番知る正真正銘の『特異な感覚や能力を持った人』なのです。
 
人智を超えた観点がある事を熟知しているからこそ、『普通』に身の丈を合わせる事が出来るようになります。
 

 

※スマホ投稿にて。

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Didier Merah(ディディエ・メラ)
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