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The End of Summer

テラスにはピンクやブルーのTシャツが風に揺れている。その中の一枚を選んで着て外出する筈が、今日の空と風の匂いがそれを妨げた。
間もなく秋だ‥ どこからともなく誰かが告げる。
寝室に立ち込める懐かしい匂い、それは亡くなった父の体臭にも似た乾ききらない汗の臭いのようだった。

実家に好い想い出は殆どないけれど、私がまだ小学生だった頃のある日ある夏、ある夕立ちの後のありふれた光景が脳裏を過って行く。観葉植物が好きだったのは実際のところ父だったのか、それとも母の方だったのかは今となってはもう定かではない。
母は父が観葉植物になんて全く興味がなかったと言うし、父は未だに天国の小さな一軒家に観葉植物の鉢を幾つも持っている。だが死者の魂の方が生きた人間よりも、余程正直なのではないかと思えて来るから不思議だ。

30代、渡米した先の親しかった或る人は部屋に、沢山の動物と沢山の観葉植物や亜熱帯植物・果実等を野生さながらに育てていた。壁には葡萄の蔦が生い茂り、時々虫が湧いて大変なことになった。殺虫剤が使えない環境だったので虫を一個一個ピンセットで捕まえて、頑丈なビニール袋に入れて行く。
背後から巨大な駝鳥が時々私を威嚇するけれど、けっして私を嫌っているわけではなかった。同居していた恋人は駝鳥の恋人でもあったから、私は一羽のメスの駝鳥と一人の男性を取り合っていたことになる(笑)。

その頃の彼の影響もあり、私はいつか小さくてもいいから家庭菜園をやってみたいと思うようになった。
だが、今住んでいるマンションではなかなか色々限界があるし、折角成ったブルーベリーの実や大葉の葉を野良猫に食い荒らされてしまうから、やはり地植えで再度ブルーベリーやオリーブ、その他沢山のハーブを育成してみたい‥と言う夢は胸の奥に仕舞い続けて。


まだ疲労からなかなか立ち上がれないので今日は読書はお休みしよう‥と言いつつ、鞄の中に軽めの本を二冊しのばせて外出。かき氷を食べてからふと気合いも抜けて、気付くと沢木耕太郎の「旅の窓」を読了。

だが、この本のことを私は余りSNS等にシェアしたくなかった。うっかり数か月前にこの書籍を買ったので粛々と読み進めていたのだけど、その後私はこの本の出版社の或る人物と敵対することになり、幻冬舎の本は買わない、読まないと決めたから。
でも、本に罪はないし、著作者も同様に‥。内容はとても素晴らしいと思うし、長過ぎない切れ味のよい旅のコラムもなかなか読みやすかった。だが如何せんこの出版社の某SNSでの言動に対する危機感は拭えないままで、そのような理由で良い書籍を紹介出来ないことはただただ残念の一言だ。

人のふり見て我がふり何とか‥と言う言葉があるが、会社の社長と表現者とでは役割りが違うし立ち振る舞いも求められているものも多分違う。
会社役員や事務その他スタッフと呼ばれる人は絶対に、主役である表現者の前に立ってはいけない、目立ってはいけない‥と私は思っているので、その意味では我が社 Didier Merah Japanの社長は本当に忍耐強いし人間的にも素晴らしい。
彼が私の作品の企画を殆ど立ち上げているにも関わらず、絶対に彼自身を彼は外側には出して来ない。ディディエ・メラだけが歴史に刻印されればいい‥と彼は言う。私はそれはどうなのか‥と思う反面、むしろその一点に注力しなければディディエ・メラの一人さえも歴史に刻印出来なくなる危機感も感じ、最近は彼の言う言葉に素直に従うことにした。

あヽ‥ こうやって色々考えるからいけないのね、私は。もっと大らかに生きなければ、もっと大らかに‥と細かく考え込んでしまう悪い癖を早く直さなければ。


静かな木曜日もあと数時間。
静かな夕暮れが我が家を包み込んで行く。


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