星の記憶を想いながら
無の時を過ごす。からだの中が音楽で溢れかえりそうな時ほど、無へ、..無へと私は行く。
音楽が音楽から生まれることへの疑問や不満をずっと抱えながら関わって来た業界のような場所から、今の私は一歩も二歩も離れて生きている。至って静かな音楽活動の中身を知る人は殆ど居ないし、私も「今日何々をしました」とか「今日は何処何処に行きました」.. 等と言う活動もなく、ただ毎日が安らぎの温室のような我が家の小さな寝室の中で静かに始まり、そして過ぎて行く。
時折思う、この世を旅だった人たちはこんな風に無限の時を送っているのではないかと。
それは故 父や亡くなった恩師を見ていて感じること。彼等は喧騒からも多忙・激務からも完全に開放され、やりたいことをやりたいタイミングで静かに行動して生きて?居る。
移動の煩わしさや時間の感覚の面倒臭さからも逃れ、逢いたい時に逢いたい人へ、行きたい時に行きたい場所に瞬時にふらりと訪ねて行くことが出来る。
── だが、しかし彼等は幽霊で居る限り永遠に孤独なのだ。
最近恩師 三善晃氏が度々私の前に現れる。現れると言っても姿が見えるわけではなく、彼等は気配だけで行動する。
いわゆる幽霊とはそんなものであること、それより彼等が肉体を失ってもなお「生き続けよう」とする気迫には圧倒される。そして何より無垢で頼もしささえ感じる。
私の中の音楽はいつからここに在ったのだろうか..。
それを思う時、私は必ずリラの記憶に立ち返る。リラの頃は音楽が未だ存在しなかったが、海、波や風の音、何より遠い星から届く微かな宇宙の音楽が既にそこには在った。
私はそれを聴いて育ったリラ星の記憶を持つ人であり、今でもその音を時折思い出し、それが理想的な音楽にならないかと切磋琢磨し続けている。
この数日間、私の中の多くの時間が動いた。
── 勿論これは感覚を言い替えただけなので、実際には他の人たちと同じ時を過ごしていることには変わりがないのだが、私の中では多くの時間が一気に動いた、そんな感覚を抱いている。
そして大きな疲労の中に未だ私は在るが、そんな時私は星を求める。星の声を追い掛け、その声の温もりと透明感の中にただ浮かんで時を過ごす。
すると地球はなんて煩わしく騒がしい星なのだろうか.. と一人苦笑しながら、その地球を暫くは離れることの出来ない私のミッションについて思考する。
私にしか出来ないミッションが手の中に。
それは透明なガラス板の上でかすかに青みを帯びた絵となり、少しずつ急激に変化し始めている。
12 Sep. 2017 14:54 JST