「Sufi」に閉じ込めた思い
本来「Sufi」と言うと、あの独特のビートと旋回舞踏を連想させる言葉である。主にエジプトでひっそりと観光目的で温存されている舞踏が今はメインだが、実は今でもSufiの神秘主義は健在だ。
ここ最近多くのSufiのミュージシャンが、自身がそうであることを堂々と公言した上で活動している光景を目にするが、そもそもトルコ国内では布教が禁じられており、その立ち位置はとても微妙である。
勿論私はSufistではない。神秘主義者でもない、が、神秘主義を否定してはいない。
決まった一個の神秘思想に傾倒しない姿勢を貫いているだけで、普通に不思議な物事には当たり前に遭遇するし、旋回しながら天の御心と繋がって行く時の高揚感は既に擬似体験済みである。
アルバム「Eden」M-10「Sufi」では、前の作品「Enlightenment」の虚脱感からさらに自らの空っぽのスピリットにたたみかけるように、虚無の向こう側の天の世界を目指して立ち上がる。
足下はふらふらとよろめき三拍子の緩いステップでさえもおぼつかないが、心はしっかりと内側に在り視点は空の一点を見据えている。
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