今日の気分はこの曲
Vol.17「Celebrate Summer」
Marc Bolan & T.Rex
1977年8月に発表された、マーク・ボラン&T.レックスの最期のシングル。
同時に天才ミュージシャン、マーク・ボランの遺作でもあります。
1947年9月30日にロンドンで生まれたマーク・フェルドは、
1965年にマーク・ボランとしてソロデビューします。
1967年にはサイケデリックなフォーク・ロックのデュオ、
ティラノザウルス・レックスをスティーヴ・トゥックと結成。
翌1968年にデビューし、カルト的な人気を得ます。
1969年にはパートナーをミッキー・フィンに交代。
1970年にはバンド名をTレックスに短縮するとともに、
路線をエレクトリック・ブギーへと大胆に変更。
「Ride A White Swan」がイギリスのチャ-トで2位のヒットになります。
1971年にスティーヴ・カーリーとビル・レジェンドが加入します。
シングル「Hot Love」が大ヒットし、一躍スターダムへとのし上がります。
そしてアルバム「Electric Warrior」もヒットし、
「Get it On」「Jeepster」とシングルも立て続けにヒットします。
翌1972年も勢いは衰えず、アルバム「The Slider」と、
シングル「Metal Guru」がヒットします。
バンド名の由来となった恐竜同様、我が世の春を謳歌します。
また、11月には初来日し、武道館などでコンサートを行っています。
1973年3月には前年の来日時に東京で録音したシングル、
「20th Century Boy」を発表。
アメリカでツアーを行い、10月に再来日するも、
その頃にはバンドを巡る状況はすっかり変わってました。
彼らの音楽は既に飽きられてしまっていたのです。
その後何枚かアルバムは出すものの低迷は続き、
バンドはマークのソロプロジェクトのようになります。
1977年、マークは再起を図ります。
3月にアルバム「Dandy In The Underworld」と同名シングルを発表。
8月にはこの曲がオープニングナンバーとなったテレビ番組、
「Marc」がマンチェスターのグラナダテレビで放映開始します。
この番組で彼はホストを務め、
当時新人だったパンクバンドをゲストに起用します。
第4回の放映から2日後の1977年9月16日、
マークは愛人の運転するクルマに同乗中、交通事故で亡くなります。
インタビューで
「俺は30歳まで生きられないだろう」
と言っていた彼の30歳の誕生日まで2週間の出来事でした。
「Marc」は収録済みだった第6回まで放送されました。
最後の第6回はライバルだったデビッド・ボウイをゲストに迎え、
共演するシ-ンがラストシーントンとなりました。
さて、曲についてですが、自分は初めて聴いた時、こう思いました。
「なんかBOØWYの曲と言ってもおかしくないんじゃない?」
そうなんです。
日本ではBOØWYが代表の、ビートパンクの先駆けのように思えるのです。
特にギターソロ、中途半端にしか知らない人には
「このフレーズ、布袋寅泰が弾いてるんだよ」
と大ウソかましても信じてしまいそうです。
確かに↑に書いた通り当時のパンクバンドと交流があったので、
影響を受けてるのでしょうね。
マークの死後、イギリスの音楽シーンは天変地異のように変わったので、
存命だったらどんな曲を発表してたのかなぁ?
カバーですが、ベース・ドラム・オブ・デスのカバー。
やっぱりと言うか、オリジナルよりビートを強調してますね。
よりパンクに、という解釈。
良いと思いますよ。
という訳で、マーク・ボラン&T.レックスの名曲、
「Celebrate Summer」についてでした。
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