今日の気分はこの曲
Vol.30「ひとりの悲しみ」ズー・ニー・ヴー
1970年2月10日に発売された、ズー・ニー・ヴーの4thシングル。
この曲はヒットしませんでしたが、
イントロを聴くと必ずハッとする曲です。
それはメロディがこの曲と全く同じだからです。
「また逢う日まで」。
尾崎紀世彦が1971年3月5日に発売した2ndシングルです。
第13回日本レコード大賞の大賞と第2回日本歌謡大賞の大賞を受賞した、
不朽の名曲。
発売日では「ひとりの悲しみ」の方が先ですが、
「また逢う日まで」はそれを基にして作った曲なのでしょうか?
この疑問は半分正解で、半分不正解です。
1969年、三洋電機のエアコンのCMの企画がありました。
CMソングは筒美京平が3曲作曲し、
そのうちの1曲にやなせたかしが作詞した曲がありました。
この曲は槇みちるが歌って完成したのですが、
スポンサー側の方針変更で採用中止となりました。
そのため本来この曲は、
「幻の筒美恭平の曲」
となるはずでした。
しかしそれに納得出来ない一人の男がいました。
筒美京平の楽曲を管理していた音楽出版社、日音の村上司です。
彼は当時「白いサンゴ礁」をヒットさせていた、
ズー・ニー・ヴーに歌わせようと考え付きます。
そして作詞を「白いサンゴ礁」を作詞した阿久悠に依頼し、
「ひとりの悲しみ」は完成しました。
ズー・ニー・ヴーは1968年3月に結成されたグループ。
メンバーは
・町田義人(ボーカル)
・上地健一(ボーカル&パーカッション)
・山本康生(ギター)
・塚谷茂樹(ベース)
・桐谷浩史(キーボード)
の5人で、1968年11月に「水夫のなげき」でデビューします。
そして1969年4月1日に2ndシングルの「涙のオルガン」を発売しました。
この時のB面の曲が「白いサンゴ礁」でした。
本来はB面の収録曲であった「白いサンゴ礁」ですが、
発売後しばらくしてオリコン最高位が18位のヒット曲となりました。
その為再発盤ではA面とB面が入れ替えられたほどです。
また1969年には山本康生と大竹茂が脱退し、
高橋英介(リード・ギター)と荒井容一(ドラムス)に交代してます。
そして1969年発売の3rdシングル「可愛いあなただから」発売の後、
「ひとりの悲しみ」の発売となりました。
こうして発売された「ひとりの悲しみ」ですが、
前述通りヒット曲とはなりませんでした。
そしてこのシングルを最後に町田義人が脱退し、ソロに転向しました。
バンドは上地健一と高橋英介以外のメンバーを変更し、キャニオンに移籍。
が、翌1971年に活動を中止しています。
この曲のメロディの良さに惹かれてた村上は、
元ザ・ワンダースの尾崎紀世彦にこの曲をテスト録音させました。
その出来の良さに村上は、阿久に歌詞のリメイクを依頼しました。
最初は渋っていた阿久も、
度重なる村上の依頼に折れてリメイクを承諾しました。
こうして「ひとりの悲しみ」は「また逢う日まで」にタイトルを変更し、
歌詞も書き直されて再び世に出る事となったのでした。
さて、ズー・ニー・ヴーを脱退した町田義人ですが、
主にCMの曲を歌うことになりました。
7~8年間でその本数は400~500本にもなったほど。
そんな彼に転機が訪れます。
1978年、ゴダイゴのタケカワユキヒデの指名で彼が音楽を担当した、
映画「キタキツネ物語」の主題歌の「赤い狩人」を歌いました。
そして同年、角川映画「野生の証明」の主題歌である、
「戦士の休息」を歌いました。
この曲がオリコンで最高位6位のヒット曲となり、
一躍脚光を浴びる事になりました。
その後もアニメ「宝島」の主題歌である「宝島」や、
『オレたちひょうきん族』のタケちゃんマンロボのテーマ「愛より強く」
ロッテ小梅のCM曲で存在感のある声を披露していました。
また役者としてミュージカルの舞台に立ったり、
ナレーターとしての活動も行いました。
これらの活動でも彼の存在感ある声は、
大きな武器になった事に間違いありません。
最近は歌手としての活動を聞かない彼ですが、
現在はオーストラリアのメルボルンで彫刻家として活動しています。
あの声と素晴らしい歌唱力を持っているのに、勿体ないですよね。
現在76歳の彼ですが、まだまだ歌える筈なのに。
再び彼が歌う日を待っています。