一眼レフの大衆化
先日、とあるカメラ系YouTuberの方が、
「無意識のうちに考えないようにしてきたのかもしれないけどスマホじゃなくてあえてカメラで撮る理由って何だろう?」
とツイートしてたんです。
で、いろいろ考えたんですが、
自分はカメラ、特に一眼レフが高級品だったのを知る最後の世代なのかも。
昔はカメラって高級品でした。
コンパクトカメラですら、
我が家のカメラ様
だったんですよ。
一眼レフなんて、言わずもがな。
それが変わったのは、1976年発売のキヤノンAE-1からだったと思います。
さらに追い打ちをかけたのが、1977年発売のニコンFM。
初めてニコンのブランド名で出した大衆機。
それまで高級機=ニコン、大衆機=ニコマートと、
日本工学は製品によってブランド名を使い分けていました。
若者にとって「ニコン」の名のカメラは、
高性能だけど手が届かない高根の花
だったのです。
それがバイトを頑張れば購入できそうな価格。
天女が地に舞い降りた
そのような感覚だった方も少なくないと思います。
そしてレンズとケース付きで39800円という驚異の低価格を実現した、
リコーXR500。
CMもかなり話題になりました。
CMといえば熊本に住む一人の女子大生を一躍スターにした、
伝説のCMで1980年に登場したミノルタX-7。
このCMの反響はすさまじいものでした。
何せ当時人気絶頂だったドリフターズが、パロディにするほど。
こうしてそれまで高級品だった一眼レフは、
高校生が持っててもおかしくないほどの存在になりました。
同時に、「撮影する」という事に対する意識も変わったように思います。
それまでは「撮影する」という行為は、特別な存在でした。
だから式典や誕生日など、「ハレの日」に撮影は行われてました。
写真館へ行って、記念撮影をしたり。
カメラを持ってる人も、出番はそんな「ハレの日」が主でした。
それが一眼レフの大衆化によって、
「撮影したい時に撮影する」に変わったように思います。
これは日本の写真業界にとって、大きな革命だったように思います。
それまで20枚撮りだったフィルムが24枚撮りになったのも、
この革命の大きな支えになったと言えるでしょう。
さて、ここまで日本に於ける一眼レフの大衆化をおさらいしましたが、
1969年生まれの筆者はこれらすべてを目の当たりにしてきました。
この大革命の生き証人としては、
写真撮影が特別な存在というのもまだまだ記憶にあるのです。
「撮りたい時に撮影する」
という自分の考えにも大きな影響を与えてるかと。
呼吸をするかの如く撮影するのが当たり前の、
今の若い人には信じられないかもしれませんけど。
早い話、デジタルネイティブか否か、みたいなモノ。
オールドウェーブだけど、まだまだ頑張るぞ!
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