190630 小獅子(仮)

雨。湿度も高くまさに梅雨。

修理を頼んでいた笛を受け取りに行ってきた。小獅子、かもしれない笛である。頭が無くて中までひびが入っていた笛を完璧に修理していただいた。一四が若干鳴らしにくいがまず使わない指だしヒシギも問題なく鳴るので嬉しい。ヒシギといえば昔は鳴らなかった。自分に問題があって鳴らないと思いこんでいたが色々な笛を吹いてきて、鳴る笛は簡単に鳴ることがわかってきた。結局は吹込みと歌口の相性なんだと思う。ヒシギが鳴らないと悩んでいる方は一度他の笛も試して欲しい。ちなみにプラスチックの笛はよくできていてあれが鳴らない場合は単に息が弱い可能性があるので注意。

帰りにエドグランでやっていた和楽器即売会をのぞいてみる。能管を試奏させてもらったけど干の音が出しづらい。さすがに新管で調律できていない笛を出すとは思えないので相性の問題なんだろう。とするとうちにある異常に干を出しづらい笛もこの工房の人だったら出しやすいのかもしれない。

さて、銘管について今日は調査のプロセスについて思うところを書く。調査をやっていると公的な身分の必要性に気づく。博物館・美術館であれば国民・市民ということで様々な背景の人と会うことも多いのでそうそう警戒はされない。が、銘管の多くは一般の家に眠っている。まだ直接訪問したことはないがこれからはそのような機会も増えそうだ。そうなった時わかりやすい公的な身分があるといいなと思う。名刺一枚でなぜこの人はこの笛を調査しているのかという問いに答えたい。「なぜこの笛に興味を?」「趣味です」で一部の人は面白がってくれるだろうが、大半は警戒するだろうし、門前払いを食らいかねない。昨日「残穢」というホラー映画を見ていたのだが、この映画はひとことでいうと家にまつわる因縁を調査していくものだ。この調査の過程で郷土史家やかつてその家の周りに住んでいた人など多くの人に話を聞いていくのだが、今自分がもっとも欲しい技術はこれなんだよなとぼんやり思っていた。小説家が主人公なので、おそらく出版社側にリサーチのノウハウがあるんだろうと思う(村上春樹のアンダーグラウンドでもそんな感じの取材体制について言及があった)。面識のない一般個人とアポを取り、話を聞き、笛を吹かせてもらう、この一連のプロセスを確立するのが目下の課題だ。

そういえば最近調査を進める上での基礎力の無さを痛感している。具体的にいうと基礎文献に対する無知だ。おそらく能楽研究に携わっている人であれば誰もが思いつくであろう基礎文献から出発していないことによる機会損失がある気がする。法政の修士とか行ったらいいのだろうか。

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