銘管あらしこ、そしてはまならし
「あらしこ」という銘管がある。
明和年間(1764-72)の記録である七十種銘管録に記載されている一管で、そこには宜竹作、森田庄兵衛所有とある。
宜竹は能管製作の名人で様々な銘管にその名を残している。
森田庄兵衛は森田流宗家にかつて引き継がれた名前で初代〜五代、七代が名乗っている。
どの庄兵衛かはわからないが森田流宗家が持っていた笛ということで良いだろう。
この「あらしこ」、白洲正子の随筆にも出てくる鹿島清兵衛が一時期保有していたが、金に困って質に入れてしまい、それを森田光風師が受け出したと昭和30年代の能楽タイムズにある。
さて、先日ある文献(安藤由典 能管の音響学的研究(その1))を読んでいて、以降の「あらしこ」の所有者が書かれていた。
文献は1966年に発表されたものなので所有者リストとしては極めて新しい。
そこに書かれていた所有者の名前は出口京太郎だった。
出口京太郎といえば宗教法人大本を興した出口王仁三郎の孫である。
彼はエスペラントの普及者として名高く、エスペラント国周遊記という本も出している。
私は大学の時にエスペラントを一時期かじっていたこともあり、親しみも湧いたので早速この本を購入してみた。
1965年の出版で、今は絶版となっているもののかつては8刷ほど重版されたベストセラーだったようである。
早速ページをめくると、エスペラントと能楽という項に、母に勧められて能管を稽古するに至った経緯が書かれていたが
「あらしこ」についての記載は無かった。
森田光春師(先述の森田光風師の息子)に稽古を受けていたようで、その縁で入手したのではないかと推測される。
代わりにこの本には出口氏愛用の笛として「はまならし」が紹介されていた。
「はまならし」も七十種銘管録に記載されており、そこには秋近作貞光竹友所有豊公ヨリ拝領とある。
秋近は先ほどの宜竹より古い年代の作者で文明年間(1469-87)に丹波に住んでいたとのことである。
貞光家も森田流の由緒正しい家で、そして豊公は豊臣秀吉のことである。
「はまならし」の命名に至った逸話は森田光風師が記した「千野之摘草」および森田光春師が記した「森田流奥義録」に記載がある。
豊臣公が琵琶湖打出の浜遊覧時に貞光竹友に笛の演奏を所望し、その音色に感動して「はまならし」と名付けたらしい。
さて「はまならし」だが私の知っている限りでは森田流野口家の教本にその写真が掲載されている。
当代の野口傳之輔師が所有されていると聞いていたが、現在は弟子の斉藤敦師が譲り受けているらしい(下記ブログ記事参照)。
https://ameblo.jp/shabonremon/entry-12515167302.html
実は安藤氏の1966年の所有者リストにも「はまならし」はあり、ここには野口傳之輔師(先代)所有とある。
つまり、ほぼ同時期に所有者の異なる「はまならし」が記録されている。
ひょっとしたら出口氏から野口師に笛が渡ったのかもしれないし、同銘の笛が存在するのかもしれない。
現時点ではなんともいえないが興味深い事実である。
ちなみに上記「はまならし」「あらしこ」について宗教法人大本のお問い合わせ窓口から現状について尋ねてみたのだが
残念ながら個人に関する問い合わせは答えかねるとの返答だった。
大本は能舞台も所有しており、宝生流に関係が深いようなのでいずれどこかでこの二管の情報に触れる機会もあるかもしれない。