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誰か僕を「限界オタク」にしてくれ

こんにちは、さいころです🎲
兼ねてから僕はロックバンドが好きなのだが(期間でいうとボカロよりも前から聴いてる)、実はワンマンライブに行ったことがありません。
理由を考えられるだけ挙げると、

・物理的に遠い(地方生まれ地方育ち)
・夜の外が苦手なので23時には安全地帯に居たい
・広く浅くバンドが好きなのでワンマンライブに求められる知識量が無い(なのでフェスには行く)

そして何より

・バンドマンや他の観客の持つ熱気を自分の中から出せない

これが最大の要因だと思っている。バンドマンのコールに合わせてコールする観客。サークル作ってモッシュする客。ステージ上で感極まって泣きだすバンドマン。
その外側で、僕はただ音楽を聴いていた。
ライブから離れてもファン同士で熱く語り合い、絆を深め合う、そういったことも行って来なかった。

もちろん、僕は音楽が大好き。1日の大半を音楽を聴きながら過ごす生活を送る、まさに「No Music, No Life」というタワーレコードのテーマを体現するような音楽好き。
そして僕にも好きな曲は存在する。ジャンルで言うとロック、ヒップホップ、EDM辺りなのだろうか。以前のnoteでも2018年ボカロ10選を紹介したことがあった。しかし、僕はこういった曲を聴いても、心の底からの激情が出てこない。激情、言い換えると「クソデカ感情」だろうか。


1.「その場のノリ」

激情、とは少し異なるがライブを楽しんで見ている人の多くは「その場のノリ」を大事にしている、と感じる。激情との共通点は自分の感情の制限を解いて心の底から思いの丈を叫んでいる、という点だ。「明日は明日の風が吹く」のような流れに身を任せた表現が似合う、無責任で無礼講な考え方。オールでカラオケをしたり、居酒屋をハシゴして飲み続けたり。陽キャ大学生のテンプレ的な存在だったりもする。

僕に欠けていたものの一つだ。
僕はこういう場面に出くわしてもいつも「終バス無くなるな」とか「明日寝坊しないかな」などの未来を見る悩みばかりを考えて物事に終始楽しんで参加できない。心の底からは他のみんなのように精一杯遊ぶことを渇望しているのに、未来の不安が覆いかぶさって感情を表に出せない。僕はパリピにはなれなかった。

2.「限界オタク」

ではオタクはどうか。一般的にオタクと呼ばれるためには「何かある特定のジャンルに対して膨大な知識を持っていて、なおかつそれに対して愛情がある人」を表していると思っている。中でも、オタクには「限界オタク」と呼ばれる人がいる。「限界オタク」とは、推している事物に出会った時に語彙力がなくなり興奮のままにそれに対して愛を叫ぶオタクのことだ。人によってはその事物に対し恋をしているように錯覚している、と見受けられる。ツイートやnoteなどで愛を叫んだりファンアートなどで応援したり、と人によって対応は様々。

しかし、僕はそういう経験に陥ったことがほとんどありません。少なくとも思い出せる範囲では。その作品を見て悶えたりそれに心酔したいと思ったり、そういった感情が湧いて来ず、他の人との熱量の差に「本当に自分はその作品が好きなのだろうか?」と悩むこともあった。知識はあっても激情はない。僕はオタクですらなかった。


3.「ガチ恋」

「限界オタク」の持つ感情を、僕は恋と同等のものだと考えている。人は恋をすると盲目になる、と比喩表現でよく言われるように恋は感情を高ぶらさせ激情を生むことが多々ある。そんな中、コンテンツの多様化により画面の向こう側の存在に対して恋心を抱く「ガチ恋勢」が近年増加している。
アイドルの追っかけなどの3次元の芸能人に恋するタイプや夢女子、夢男子と呼ばれる2次元のキャラクターに恋するタイプなど分かれるが、恋愛対象が今触れられる目の前にいない、という点では共通している。初音ミクと結婚した男の人がいる、という話は皆さんも記憶にあるだろう。

今までの論展開から予想はつくと思うが、僕は画面の向こうにいる人物に恋をしたことがありません。芸能人の努力や技術を素晴らしいと思ったことは有るし、このキャラクターが好きだ、と思ったこともあるが、あくまでそれは画面の向こう側にいる、という自覚があってこそというものが大きいので、叶えたいと思ってしまった恋心ではありません。
もちろん、僕の周りにいた同級生や先輩に恋をしたことはあるし、恋心がどんなものかという把握はしているつもりだ。だがガチ恋は起きてくれない。恋心とそれに準ずる感情は感じられなかった。


4. 誰か僕を「限界オタク」にしてくれ

タイトルにあるように、僕は先述したような方々が羨ましい。自分の感情を奥底から媒体へ向けて引っ張りだし、大切な作品へ愛を伝えられる、なんと魅力的なことか。僕はいつも俯瞰してみていて、自分の心のリミッターを外して感情を表に出したことが多くはない。
なぜだろう。もちろん楽曲が良くないわけではない。クリエイターが全力を尽くして作り上げた作品に感銘を受けたことはある。ただ、それが僕の中から表に出て行かないだけ。自分にはわからない。だから他人任せなタイトルにしてしまった。このnoteも本来ならもっと長くなるはずだった。まだ自分の中で感情の整理がついてないのだろう。文章も支離滅裂で読みづらいものになってしまい申し訳ない。

誰か答えを教えてほしい。

閲覧ありがとうございました。

#エッセイ

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