「博士論文が書けない」とはどのような状態か?Part1
はじめに
前回書いた記事のシリーズ「社会人MBAから博士課程というルートについて考える」では、大変多くの社会人大学院生から(主にツイッターの方に)反響を頂きました。また、経済学系の研究者の方々からも、他分野の院生にも通じる示唆があるとご評価頂き、結構な範囲に拡散をして頂きました。改めて御礼申し上げます。
今回取り上げるテーマは博士論文(以下、博論)についてです。今回のテーマについては、社会人かどうかの区別は特になく、純粋な経営学系の博士課程の大学院生全般に通じる内容となっています。
「博論について」といっても、良い論文の書き方を偉そうに語ることは控えたいと思いますので、本記事では、少し違った角度からの考察を展開します。それは、「あなたはなぜ博論が書けないか?」というシンプルな問いについてです。もっとも、この問いに対して、「なぜならば」といきなり回答するには問いが大きすぎるため、「博論が書けない」という状態をいくつかの段階に分解し、それぞれの段階に応じた問題の所在と対応方法について考察していきたいと思います。
余談ですが、僕が2016年度に提出した博論を書く上で参考にしたのは、一橋大学の松井剛先生のnote記事や、立教大学(僕が記事を拝見した当時は確か東京大学にご所属だったと記憶しています)の中原淳先生のブログです。下記にリンクを貼っておくので是非参考にしてください。
前提条件の確認
「博論が書けない」という状態を分解する前に、まずは、博論に着手できる条件について確認しておきましょう。既に博士課程に在籍中の読者にとってはもちろんのこと、修士課程の院生にとってもご存知の事かもしれませんが、博論は修士論文と異なり、いきなり書き下ろすことができるわけではありません。
但し、注意して頂きたいのは、学問領域や時代によっては事情が全く異なる可能性がありうるということです。つまり、現代においても、別の学問領域では、研究を進めていきなり博論を書き下ろす分野があるかもしれませんし、経営学領域においても、かつては、いきなり博論を書いていたのかもしれません。
したがって、以降の内容は、あくまでもこの10年位の動向を踏まえた経営学系に限定した議論であることをどうかご承知おきください(もちろん結果的に他分野にも当てはまっている可能性はあり得ますが)。
それでは議論を本題に戻しましょう。経営学分野で博論の執筆を許可される条件としてよく聞くのは、原著論文3本+レビュー論文1本(そのうち何本が査読付き雑誌に採択されているかは大学によって異なる)という条件です。これは、多くの方々が耳にした経験があると思います。もしかするとレビュー論文の部分は、書き下ろしでOKというケースも多いかもしれません。とにかく、3本の論文に加えて、論文1本に相当するボリュームの文献レビューを行うことができて、ようやく博論の執筆に着手することができるというのが、経営学分野における条件だという認識をセットして頂ければと思います。
以降では、この前提条件に基づき、「博論が書けない」という状態をいくつかの段階に分解していきたいと思います。
「博論が書けない」の3段階
博論が書けないという状態を分解してみると、次の3段階に分けることができます。すなわち、①博論計画(プロポーザル)が書けない、②博論を構成する原著論文が書けない、③原著論文はボチボチあつまってきたが、大きな1本の筋にまとめられない、の3段階です。以降では、それぞれの段階のボトルネックについて考察します。
中間まとめ
当初は上記3段階について一気に書き下ろし、5/13前後に公開する予定だったのですが、家族の健康上の理由により、向こう1~2週間は執筆時間が減少するため、区切りの良い今の段階で記事を公開しておきます。
2023年5月13日