安井息軒〈辨妄・五〉02

(ニ)

02-原文:然則天地民生之初果如何也。曰聖人所不語,我不敢知。然耶蘇徒、鑿鑿言之。我民或惑之、其禍有不可測者焉。我且憶說之。
 夫地與五星皆以大陽為心、日夜運轉於虛空中、各有其度。地則日轉一度、三百六十有六轉、乃能一周大陽。是爲一歲。歲有四時・十二月・二十四節・七十二候。皆以大陽遠近為之名。萬物以生以長以成以收。其氣所不及、地不能生物。萬古一定,未嘗變其度。然則地球者大陽爲之主。既為之主、而能榮枯威衰其所生之物。則謂大陽造成地球亦可。其於五星亦當然耳。


02-訓読:然らば則ち天・地・民生ずるの初めは果たして如何ぞや。曰く、聖人の語らざる所は、我敢へて知らず、と。然れども耶蘇の徒、鑿鑿として之を言ふ。我が民或ひは之に惑へば、其の禍有測るべからざる者有り。我且に之を憶說せん。

  夫れ地と五星と皆な大陽を以て心と為し、日夜虛空中に運轉して、各々其の度有り。地は則ち日に一度を轉じ、三百六十有六轉して、乃ち能く大陽を一周す。是れを一歲と爲す。歲に四時・十二月・二十四節・七十二候有り。皆な大陽の遠近を以て之が名を為す。萬物は以て生じ以て長じ以て成り以て收む。其の氣の及ばざる所は、地も物を生ずる能はず。萬古一定して、未だ嘗て其の度を變ぜず。
 然らば則ち地球なる者は大陽之が主たり。既に之が主と爲りて、能く其の生ずる所の物を榮枯盛衰すれば、則ち大陽地球を造成せりと謂ふも亦た可なり。其の五星に於けるも亦た當に然るべきのみ。


02-意訳:それでは天・地・人が生まれた最初は果たしてどのようであったのか。私の答えは、「聖人が語っていないことは、敢えて知ろうとは思わない」だ。しかしながらキリスト教徒は、〔神(GOD)が天地やヒトを作った様子を〕言葉巧みに生き生きと語る。我が日本人民がそれに惑わされ〔て信じてしまい、そのままキリスト教に帰依するようなことがあ〕れば、その災禍は測りしれないものがある。〔だから、天地の始まりとヒトがどのようにして生まれたかについて、〕私は自分の考え(憶說)を述べようと思う。
 そもそも地球と〔水星・金星・火星・木星・土星の〕五つの惑星はみな太陽を中心として、日夜休むことなく何もない空間(虛空)の中を公転していて、それぞれ固有の周期(度)がある。地球は一日に一度一回転し、三六六回転して、太陽〔の周り〕を一周する。これを一年(一歲)とする。一年には四時・十二ヶ月・二十四節・七十二候〔という季節・気候の変化〕がある。みな太陽からの距離(遠近)によって名付けている。〔この太陽との距離によって生じた季節の変化に応じて、〕万物は春に芽吹き(生)、夏に育ち(長)、秋に実り(成)、冬を種となって越す(収)。その〔太陽の〕熱と光(気)が届かない場所では、大地も〔動植〕物を発生させることはできない。〔公転周期は〕大昔から一定で、いまだにその周期(度)が変化したことはない。
 そうであれば、つまり地球は太陽を主人としているのだ。太陽はこの〔地球の〕主人となって、さらに地球が生んだ万物を繁茂させ枯死させている(栄枯盛衰)のだから、つまり太陽が地球を作り上げたといってもいいだろう。五つの惑星についても、やはりそうであるはずだとしか考えられない。


02-余論:息軒の地動説。
 息軒は、地球と五つの惑星が太陽を中心にその周りを公転するというモデルを提示する。そして太陽からの距離の変化が季節の変化を生んでいると説明する。
 もっとも季節の変化は、公転面に対する地軸の傾きに起因する日照角度の変化によるところが大きく、実際、北半球を基準にすれば太陽との距離は夏季に広がって冬季に縮むので、息軒の説明には語弊がある。
 息軒が、季節の推移や万物の生育に対する太陽の影響を強調するのは、キリスト教が全ての要因を有意志的人格神(GOD)の意図に帰着させるのに対抗して、自然発生説を押し出したものであろう。
 もともと中国哲学では、原初の宇宙は混沌かつ均質な「太乙」(道)と呼ばれる状態にあったが、やがて放置された泥水が上澄みと沈殿した土砂とに分離するように、澄んだ軽い陽気が上昇し、濁った重い陰気が下降し、その純度の高い部分がそれぞれ天空と大地を形成し、他はその陰陽の配合比率によって他の万物を構成することとなった……と、要するにこの宇宙は「超越者」(神・GOD)が介在することなしに出現し、成立していると考える。
 

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