安井息軒《睡余漫筆・西洋に地動の說あり》04
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原文-04:西人巧みに天を說けども、《堯典》の、「期三百有六旬有六日」の外に出ること能はず。堯舜の智にして、物の一晝夜に、千零九十八萬里を行くこと能はざるの理なし。
然るに天動地靜の說を立てたるは、“聖人は衆人の能く見能く聞く所に從つて教を立て、世を治め民を相(たす)くるの道を主とす。獨知の明を奮ふて人を驚かす〔が〕如き小智の爲所(しどころ)を務めず、先務を急にする”とは此の事を謂ふなり。
意訳-04:西洋人は巧みに天文のことを説明するけれども、〔所詮〕《堯典》の「1年366日」(期三百有六旬有六日)を超えるものではない。〔そもそも古代の聖王である〕堯帝・舜帝の聡明さ(智)にして、モノが一昼夜に1098万里〔もの長距離を〕を進むことができるという論理はない。
それにも関わらず、〔古代の聖人が事実に反する〕天動地静の学説を立てたのは、“聖人は大勢の人々(衆人)が見聞きできるものにもとづいて教義を立て、世の中を治めて人民の暮らしを助ける道をメインとする。〔聖人は、〕自分だけが分かるという明察さ(獨知の明)を振りかざして人々を驚かせ〔て、一人悦に入〕るような「小智」の仕業には取り組まず、急務を優先する”とは、この事を言うのである。
余論-04:「聖人」のための弁明
息軒は地動説を支持するが、聖人が著述した儒教経典は、その時代性ゆえに天動説を前提として書かれている。ここで”聖人は科学知識が不足していたため、間違えたのであろう”と言えさえすれば、話はすぐ終わるのだが、息軒が儒者である以上、あくまで「聖人は完全無欠の存在である」という姿勢を崩すことはできない。
そこで息軒は”聖人はもちろん地動説が正しいことは分かっていたけれど、敢えて天動説を説いたのだ”と強弁する。なぜなら、天動説のほうが人々の実感に即しており、伝わりやすかったからである。
聖人は、一般人相手に高度で複雑な知識を披露してマウントをとろうとはしない。現代でも、ろくろを回しながら、一般的とはいい難い横文字を並べ立てて、しきりにマウントをとってくるヒトがいるが、それを「獨知の明」として息軒は斥ける。
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