安井息軒〈與某生論共和政事書〉08-10
08
08-原文:近時佛蘭西、久在圍城中、不能出城一戰、特行側媚於權豪、以固其位。而不逞之徒、劫宦殺吏、上下相待如路人、至糧盡乞降而止。安在其富國強兵哉。
08-訓読:近時の佛蘭西、久しく圍城の中に在りて、城を出でて一戰する能はず、特(た)だ側媚を權豪に行ひ、以て其の位を固む。而して不逞の徒は、宦を劫(おど)し吏を殺す。上下相ひ待つこと路人の如く、糧盡くるに至りて降を乞ひて止む。安くにか其の國を富まし兵を強くする在らんや。
08-意訳:近年のフランス(佛蘭西)政府は、長きに渡って〔敵に〕包囲された都市(圍城)【①】の中にいて、出撃して一戦することもできず、ただブルジョワジー(權豪)に媚びを売ることで王位を固めていた。それで〔プロレタリアートの〕不逞な輩(やから)が〔怒って王宮内に侵入して〕役人(宦)【②】を脅し官僚(吏)を殺して回った。上に立つ為政者と下に仕える臣下は〔関係がすっかり冷めきって〕互いに〔自分とは全く無関係な〕路傍の人であるかのように待遇し、〔城内に備蓄していた〕糧食が尽きたところで降伏を申し出て〔ようやく都市包囲は〕終わった。
いったい〔この共和政の〕どこに富国強兵へとつながる要素があるというのか、いやない(反語)。
補注:
①圍城:包囲された都市。
この「城」が日本語でいう「お城」(石垣と堀に囲まれた政庁)つまり王宮なのか、それとも中国語でいう「城市」(城壁で囲まれた政庁と周辺居住区)つまり城塞都市なのか、よく分からない。ここでは後者と解釈した。
なお1845年、七月王政によってパリ全域を取り囲む全長80kmの「ティエールの城壁」が完成している。
②宦:宦官・役人
宦官は去勢された男性官吏で、主に後宮で働いた。もともと遊牧民は家畜の群れをコントロールするために、群れのリーダー格のオスを去勢して従順な性格に変えるという工夫をしていたが、それを後宮の大勢の女性たちを管理する事に応用したのが宦官だという。古代から各文明圏で広く実施されており、東欧のピザンツ帝国や中東のイスラム諸国、東アジアの中国・朝鮮・ベトナムをはじめ、アフリカのエジプトや南米のインカ帝国にも存在した。
だが、西欧には宦官はいない。キリスト教の影響で君主といえども一夫一妻を守り、後宮・ハーレムが存在しなかったため、宦官は必要なかったのである。息軒が西欧諸国にも宦官がいると誤解していたか、「宦」字を「官」と同じ意味で使っているのか、未詳。ここでは「役人」と訳しておく。
なお日本には後宮・大奥があるが、宦官はいない。全て女性の手によって運営された。古来、日本は中国から実に様々な文化・制度を導入したが、宦官は科挙・道教(福永光司によれば、道教は日本神話や神道に取り込まれている)・レンゲ(匙)と並んで、なぜか昔の日本が中国から受容しなかったシステムの代表格である。
08-余論:息軒によるフランス共和政のダメな事例。
息軒は、近年フランス政府が政権維持のためにブルジョワジーの顔色を伺うばかりで、暴動鎮圧すらできず、ついには降伏したと述べ、共和政のどこに富国強兵へつながる要素があるのかと問いかける。
フランスの政治体制は、フランス革命(1789)によって絶対王政が打倒されてから、立憲君主制(1791-1792)-第一共和政(1792-1804)-ナポレオンの第一帝政(1804-1814)-ルイ18世の復古王政(1815-1830)-フィリップ1世の七月王政(1830-1848)-第二共和制(1848-1852)-ナポレオン三世の第二帝政(1852-1870)-第三共和政(1870-1940)と目まぐるしく推移する。このうち、息軒がどの政体を批判したものかは未詳。
冒頭の「近時」は、いつ頃を指すのだろうか。1799年生まれの息軒にとって、第一共和政~第一帝政(1792~1814)は「近時」ではないだろう。また、本篇の初出が明治6年(1873)なので第三共和政でもない。あるいはフランス革命後に生じた様々な政治的混乱を一まとめに述べている可能性もある。息軒の記述に対応する政体について、憶測を逞しくすれば、
①「久しく圍城の中に在りて、城を出でて一戰する能はず」:七月革命で打倒されたルイ18世の復古王政か、二月革命で打倒されたフィリップ1世の七月王政。
②「特だ側媚を權豪に行ひ、以て其の位を固め」:典型的なブルジョワ革命であった七月王政。
③「不逞の徒は、宦を劫し吏を殺し」:プロレタリアート(労働者階級)がブルジョワジー(資本家)政権である七月王政を打倒した二月革命か、第二共和政下でパリのプロレタリアートが起こした「六月蜂起」(1848)。
④「糧盡くるに至りて降を乞ひて止む」:七月革命におけるシャルル10世の退位か、二月革命におけるフィリップ1世の退位、もしくはナポレオン3世の「ブリュメール18日のクーデター」における第二共和制議員らの立てこもりとその大量逮捕。
総合すると、七月王政の可能性が高いように思う。なお七月王政は納税額による制限選挙を基礎とする議会制立憲君主政体で、日本が明治23年(1890)に設立することになる立憲君主体制と符合する点が多い。
息軒が何を通じて西洋の情報を得ていたかが分かれば、本段落の内容はもう少しはっきりするだろう。なお福沢諭吉がフランスについて紹介した《西洋事情》第二編四巻の刊行は1870年だが、「糧盡くるに至りて降を乞ひて止む」につながるような記述は見当たらない。
09
09-原文:獨米利堅、興於流氓、始無君長、及華聖頓却英兵、爲置共主、四年一更。其法若最無弊者然。然近聞其情、其爲共主者、冀延期限、擬代立者、爭欲得之、賄賂旁午、醜聲遠播、殆有不忍聞者焉。
09-訓読:獨り米利堅は、流氓に興され、始め君長無く、華聖頓の英兵を却(しりぞ)くるに及びて、爲に共主を置きて、四年一更す。其の法最も弊無き者の若(ごと)く然し。
然れども近く其の情を聞けば、其の共主と爲る者は、期限を延さんと冀(こひねが)ひ、代立を擬(はか)る者は、爭ひて之を得んと欲し、賄賂旁午し、醜聲遠播して,殆(ほとん)ど聞くに忍びざる者有り。
09-意訳:ただアメリカ(米利堅)合衆国だけは、欧州から流れてきた食い詰め者(流氓)によって建設されたので、始めから君主(君長)がおらず、ジョージ・ワシントン(華聖頓)が〔独立戦争に勝利して〕英兵を退却させるに及んで、初めて代表(共主)を置いて、四年交代(四年一更)とした。そのやり方は最も弊害が無いかに見える。
しかしながら最近その実情を聞いたところ、米国の大統領(共主)となった者は任期を延長したいと強く願い、彼に代わって〔新しい大統領として〕立ちたいと考える者は、〔現職と〕爭って大統領職を手に入れようとし、その結果、カネが飛び交い(賄賂旁午)、互いにネガティブ・キャンペーンを展開して(醜聲遠播)、ほとんど聞くにたえない有り様である。
09-余論:息軒によるアメリカ共和政のダメな事例。選挙の問題。
息軒は、”アメリカはもともと移民によって「王なきクニ」としてスタートしたこともあって、アメリカ大統領制は共和政のなかでは最も弊害がないように見える”としながら、大統領選挙時には現職と対立候補が激しく争い、カネが飛び交い(賄賂旁午)、誹謗中傷合戦が展開し(醜聲遠播)、聞くにたえないと批判する。
息軒が指摘しているのは、いわゆる首長選挙では「カネ」と「スキャンダル」が飛び交っているようだが、両陣営がそうした戦略をとるのはそれが有効だからに他ならず、それは取りも直さず選挙が必ずしも公正な競争ではないことを示しているのではないか。つまり選挙では、清廉潔白な人物が落選して、カネをばらまく人物が当選したり、真面目に政策を語ろうとする候補が落選して、政策そっちのけで相手の誹謗中傷に徹した候補が当選してしまうのではないか、ということである。この息軒の指摘を、我々は否定できない。
「カネ」についていえば、記憶に新しいところでは、2021年、広島の国会議員が選挙に際して地元の有力者を現金で買収していたとして、公職選挙法違反で有罪となり、当選を取り消された。「スキャンダル」についていえば、2016年米国大統領選挙ではSNSを使って「フェイクニュース」をばらまいて対立候補を貶める選挙戦術が注目を集め、2020年米国大統領選挙においてSNS各社は候補者を誹謗中傷する記事を削除して回り、最終的には候補者のアカウントを凍結することになった。
選挙を体験したことがない息軒が、ただ人づてに聞いた情報を分析して、選挙の問題点を正確に予測していることに驚かされる。
10
10-原文:以予所見、其勢亦將不久而變矣。夫利之所在、不以義制之、其究必至亂。故聖人建法、諸侯以上皆象賢、士大夫世祿、而郷舉里撰、以助其不逮。雖間有無道之君、積威之所壓、民不敢輙作亂、分定故也。孟子曰,「貴貴尊賢其義一」,不可易焉耳。
10-訓読:予の見る所を以てすれば、其の勢も亦た將に久しからずして變はらんとす。夫れ利の在る所は、義を以て之を制せずんば、其の究は必ず亂に至る。故に聖人は法を建て、諸侯以上は皆な賢を象り,士大夫は祿を世し、而して鄉舉里撰は以て其の逮ばざるを助く。間に無道の君有りと雖も、積威の壓する所、民をして敢へて輙(たやす)く亂を作(な)さしめざるは、分の定まるが故なり。孟子曰く、「貴を貴ぶと賢を尊ぶは其の義一なり」と。易ふべからざるのみ。
10-意訳:私の見る所では、そうした趨勢も間もなく変わろうとしている。そもそも何であれ利益が存在するところにには、道義的観点(義)から一定のルール(制)を設けなければ、最終的には必ず混乱に至るものだ。だから古代の聖王は〔為政者の選定について〕ルール(法)を作り、諸侯以上は皆な賢者になぞらえ(象賢)、士大夫は爵祿を世襲して〔官職は決して世襲せず〕、そして郷挙里選〔という長期観察に基づく人材抜擢制度〕がその〔身分世襲制が〕及ばないところを補った。一時的に無道の君主が現れたとしても、積年の威光の圧力が、人民にたやすく反乱を起こそうとさせないのは、〔政治に参画する「士」と参画しない「民」というように〕身分が定まっている〔ため、人民も政治問題は自分たちがどうこうすべきことではなく、士大夫に委ねておくべきことだと弁えている〕からである。孟子が《孟子・萬章下》で「生まれながらの貴人を尊重することと、生まれに関係なく賢者を尊敬することは、〔世襲制支持と反世襲制とで対立しているように見えて、実は社会秩序を安定させるという点で、〕表裏一体の関係にある」と言っている。〔この原則は〕変えてはならない。
10-余論:息軒による封建的身分制肯定論。
結局のところ、息軒の関心は「社会の安定に寄与するのはどちらか」という点にあり、共和政よりも身分制を支持する。
「郷挙里選」は漢代に実施された官吏推薦制度だが、息軒は《時務一隅》においてこれを改造して、長期観察にもとづく官吏選抜制度を提案している。
冒頭の「予の見る所を以てすれば、其の勢も亦た將に久しからずして變はらんとす」の意味が分かりにくい。恐らく、第二共和政が第二帝政へ移行したことを踏まえて、西洋の共和政が遠からず終焉すると踏んでいたのではないか。
実際、共和政はナショナリズムは不可分の関係に会って、「国民性」という幻想がなければ国家の自己同一性は保持できない。そして各国のナショナリズムの高まりは国際紛争を激化させ、二度の大戦を引き起こし、国家の危急存亡に直面して、より強力な政府を求める国民が民主的手続きを経てファシズム(全体主義)政権を生み出していった。
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