安井息軒〈文論〉02

02-原文:夫德至矣。雖則隱處,天下傳稱之,百世之下,可以激頑興懦。固非事業施於一世者之所能及也。況於其能被諸當世者乎。功則次焉。然亦能撥亂反諸正,轉衰爲盛,生民以蔭,國家以安,其爲不朽,固宜矣。而世乃欲以空言,與二者爭光於千載,顧不難乎。

02-訓読:夫れ德は至なり。則ち隱處すと雖も、天下之を傳稱し、百世の下、以て頑を激(はげ)まし懦を興すべし。固より事業を一世に施す者の能く及ぶ所に非ざるなり。況んや其の能く諸を當世に被る者をや。
 功は則ち次ぐなり。然れども亦た能く亂を撥(おさ)め諸を正に反(かへ)し、衰を轉じて盛と爲し、生民以て蔭(おほ)はれ、國家以て安んずれば、其の不朽と爲すは、固より宜(むべ)なり。
 而るに世乃ち空言を以て、二者と光を千載に爭はんと欲するは、顧(かえりみ)て難からずや。

02-意訳:そもそも〔《春秋左氏伝》で穆叔が説明したように、「三不朽」において〕德は至上である。つまり〔「立徳」の人は、たとえ〕隠遁していたとしても、世界中の人々(天下)は彼について褒め伝え(傳稱)、百世代もの長きに渡って、愚劣な者を励まし惰弱な者を奮起させることができる。〔その偉大さは、〕もとよりある事業を一世代の間〔だけ〕施行した〔「立功」の〕人がよく及ぶ所ではない。まして〔その詩文によって〕今の世の中(當世)で〔のみ、一時的な称賛を〕受けている〔「立言」の〕人は、とうてい及ばない。
 〔穆叔も認めるように、「三不朽」において〕功は〔徳の〕次点である。しかしながら、やはり〔《春秋公羊伝・哀公十四年伝》で孔子が《春秋》を編纂した目的として説明されているような、〕“乱世を治めて、世の中を正道に返し”、衰退していた社会を一転させて隆盛にし、人民は庇護され、国家は安寧になれば、その功績を「不朽」とするのは、もとより当然のことだ。
 それなのに今の人々(世)がなんと空言でもって、〔立徳・立功の〕前二者と千年にわたる栄光を争おうと思うのは、どう考えても難しくないだろうか。

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