安井息軒〈與某生論共和政事書〉04-05
04
04-原文:然其所以至此、蓋亦有由而然。西洋土塉穀少不足以自給。是以爲奇技淫巧廣與四方貿易、以補其缺。是以其權在商、勢與王侯相抗。俗又奉耶蘇教。耶蘇之立教、以君父爲假、輸財於己、謂之積於天上、計吏收稅、憎之甚於盗賊。是以民邈視其君、而貴耶蘇爲眞君之子。此共和政事之說、所以盛行於西洋也。
04-訓読:然れども其の此に至る所以は、蓋し亦た由有りて然れり。西洋は土塉(やせつち)にして穀少なく以て自給するに足りず。是を以て奇技淫巧を爲して廣く四方と貿易し、以て其の缺を補ふ。是を以て其の權は商に在り、勢は王侯と相ひ抗す。俗も又た耶蘇教を奉ず。耶蘇の教を立つるや、君・父を以て假と爲し、財を己に輸(いた)さしめ、之を天上に積むと謂ひ、計吏の稅を收むるや、之を憎むこと盗賊より甚だし。是を以て民は其の君を邈視して、耶蘇を貴びて眞君の子と爲す。此れ共和政事の說、盛んに西洋に行はるる所以なり。
04-意訳:しかしながら、その〔君主不在の緊急処置ともいうべき共和政治が〕ここ〔まで西洋で定着する〕に至った理由は、思うにやはりそうなるだけの理由があってそうなっているのだ。西洋は土壌が痩せていて穀物の収穫量が少なく、それで食料を自給自足するには足りない。こういうわけで〔西洋諸国は〕必要性のない度を越した過剰な技術(奇技淫巧)を開発して広く四方の地域と貿易し、そうしてその〔食料〕不足を補ってきた。こういうわけで、〔西洋社会では〕その主導権は商人にあって、商人たちの勢力は王侯と拮抗している。習俗としても、また西洋人たちはキリスト教(耶蘇教)を信奉している。イエスは教義を立てるにあたって、〔ヒトにとって神(GOD)との関係こそが唯一絶対の真実だといい、〕君主や両親との関係を仮りそめ(假)とし、財産を自分に寄進させ、それを「天上に功徳を積む」と言いつくろい、税吏が稅を徴収しようとするや、彼を憎悪することは盗賊に対するもの以上である。こういうわけで、西洋の人民はその君主を〔ただ肉体を支配するだけの仮りそめの支配者と見なして〕軽視して、イエスを尊崇して〔彼こそが神(GOD)という魂を支配する〕真実の君主の子とみなしている。これが共和政治の思想が、西洋で盛行している原因である。
04-余論:息軒の地政学(地理条件が政治体制を決定するという考え方)
息軒によれば、西洋で共和政が発生した原因は、農業に不向きな土壌とキリスト教にある。つまり、痩せた土地柄ゆえ工業と商業に偏重せざるを得なかったことが、西洋の商人たちに封建領主が擁する軍事的支配力に拮抗できるだけの政治力をもたらしたことと、またキリスト教の影響で西洋社会における世俗君主の権威が相対的に低かったことが、共和政が西洋で普及した原因だと、息軒は分析する。
息軒の分析は、後にマックス・ウェーバー(1864-1920)が「民主共和制の西洋と専制君主制の東洋」という対比を通じて展開する学説と、おおむね一致する。ただウェーバーには「発展できない東洋」という偏見があり、息軒には「不幸な西洋」という優越感があり、言っていることは似ていてもベクトルは正反対である。
なお一つ指摘しておくならば、息軒の西洋社会に対する指摘は、彼の幕末期の経済事情や仏教に対する認識と深刻な齟齬を来している。息軒は、《救急或問》や《時務一隅》では、日本国内の封建諸侯は商人の経済力に屈服していると指摘し、また〈弁妄〉や〈鬼神論〉では、仏教は君主という世俗的権威を神仏などの宗教的権威の下位へ位置づけ、教義内容においてキリスト教と大差ないと指摘する。つまり、息軒自身の認識に基づけば、西洋で共和政治が盛行した条件は、そっくりそのまま幕末の日本にもあったことになる。
○
息軒のキリスト教理解について。
息軒が〈弁妄〉のなかで示したキリスト教理解は、戦前の社会主義者でキリスト教徒でもあった山路愛山をして”井上哲次郎よりも上”と言わしめる水準を見せているが、〈弁妄〉と同じ誤解を、ここでも犯している。それは「イエスと徴税官の関係」である。
イエスは、当時のユダヤ社会でヘイトの対象だった徴税官とも親しく付き合い、彼らと食事をともにしたことでユダヤ社会から非難を浴びている。だが息軒は、「イエスが徴税官にヘイトを向けていた」と誤解している。息軒は恐らく漢訳された《聖書》を目にしていたと思われるが、あるいはその漢訳にイエスと徴税官の関係を取り違える誤訳があったのかもしれない。
05
05-原文:洋學之徒、不知忠孝仁義之爲何物、粗能讀蟹字、則便浮慕艷稱、以爲至當、不能究其理非成敗所在。其言悖逆至此、而不知自陷於赤族之罪。故好異不已、流爲耶蘇。耶蘇不已、陷爲無君無父之人。邪說之爲惑人、如阿片之釀歡夢、日覺其可樂、而不知其受害旣深、雖欲悔之、不可復及。可不愼乎。
05-訓読:洋學の徒は、忠孝仁義の何物なるかを知らず、粗ぼ能く蟹字を讀めば、則便(すなわ)ち浮慕艷稱し、以て至當と爲し、其の理非成敗の在る所を究むる能はず。其の言の悖逆するや此(ここ)に至りて、自ら赤族の罪に陷るを知らず。故に異を好みて已まず、流れて耶蘇と爲る。耶蘇已まざれば、陷りて無君無父の人と爲る。邪說の人を惑すや、阿片の歡夢を釀すが如く、日び其の樂しむべきを覺ゆるも、而も其の害を受くること旣に深きを知らず、之を悔いんと欲すると雖も、復た及ぶべからず。慎まざるべけんや。
05-意訳:洋学者たちは、〔東洋の伝統的価値観である〕忠孝・仁義の何たるかを知らず、ざっと横文字(蟹字)を読んで、表面的にこれを仰ぎ慕って羨望・賛美(浮慕艷稱)し、そうしてこれを極めて妥当だと信じ込んで、それが本当に道理にかなっているか否か、実際にうまくいくか否か(理非成敗)を考究することはできない。その発言が人倫に背くこと(悖逆)ここ〔今上陛下の廃位に言及するまで〕に至り、自ら一族誅滅の大罪に陷っていることが分からない。だから絶えず物珍しさ(異)を好み、〔好んで常識とは違う方向へ〕流れに流れてキリスト教徒となる。キリスト教をやめなければ、君主や父母を蔑ろにする人間に成り下がる。〔共和政のような〕邪說が人々を惑すのは、まるで阿片が快楽的な幻覚(歡夢)を醸し出すように、毎日きっと楽しいはずだと思わせてくれるが、しかしすでに深い害を受けていることが分からず、そのことを後悔しようとしても、もう手遅れである。気をつけなければならない。
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