安井息軒〈文論〉04

04-原文:夫德得於身,而功施於事。其宣於口,則謂之言。三者雖【】異,一原於道。故道言之本也,言道之輿也。言與道離,猶無載之車,其轉雖利,其誰行之。是故善立言者,必先求道。

04-訓読:夫れ德は身に得て、功は事に施す。其の口に宣(の)ぶるは、則ち之を「言」と謂ふ。三者は異なると雖も、一に道に原(もと)づく。
 故に道は「言」の本なり、「言」は道の輿なり。「言」と道と離るるは、猶ほ載する無きの車のごとし。其れ轉(うつ)すに利ありと雖も、其れ誰か之を行かせん。是の故に善く「言」を立つる者は、必ず先づ道を求む。

04-意訳:そもそも徳は身に付け、功績は物事に施す。口にのぼせるのを言辞(言)という。この三者は異なるけれども、一様に道義(道)にもとづく。
 だから道義(道)は言辞(言)の土台(本)であり、言辞(言)は道義(道)の乗り物(輿)である。言辞(言)が道義(道)と乖離するのは、ちょうど何も載っていない台車(車)のようなものだ。〔いくら台車はモノを〕移動させるのに便利だとしても、誰が空の台車を押して行くだろうか、いや誰も行かない。こういうわけで、言辞(言)を組み立てるのが上手い者は、必ずまず道義(道)を追求する。

04-余論:「言辞」について。
 紀貫之〈古今和歌集仮名序〉が「やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける」と言うように、普通、言辞はそのヒトの気持ちや意志を表示する手段として把握される。(言辞を思惟の本体とする立場もある)
 息軒は道義(前段では仁と忠)の乗り物であり、道義なき言葉を発するのは空の台車を押していくような無駄な行為だという。

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