〈與某生論共和政事書〉01-03

01

01-原文:衡白某兄足下。足下往日來問、「同學之徒、百有餘人、盛唱共和政事之美、謂『非此不能以富國强兵。』其是非如何。」偶坐有他客不欲深言之、粗言其不可而止。旣而思之、恐足下爲其害止于此。【①】故復脩書以詳言之。

01-訓読:衡某兄足下に白(もう)す。足下往日來りて問ふらくは、「同學の徒、百有餘人、盛んに共和政事の美を唱へ、『此れに非ずんば以て國を富まし兵を强くする能はず』と謂ふ。其の是非や如何」と。偶(たまた)ま坐に他客有れば之を深言するを欲せず、粗ぼ其の不可なるを言ひて止む。旣にして之を思ふ、足下の其の害を此に止むるを爲さんことを恐る。【②】故に復た書を脩めて以て之を詳言せん。

01-意訳:わたくし安井衡が某学兄殿に申し上げる。貴殿は先日わたくしの所へ来て、「学友たち百人あまりが、しきりに共和政治の素晴らしさを吹聴し、『これ(=共和政治)でなければ、日本の富国強兵は不可能だ』と言っています。その当否についてどう思われますか」と尋ねた。たまたま、その席には他の客人がいたので深く語ろうとは思わず、ざっくり共和政治はダメだとだけ言って終わりにした。だが、後になってこう思った。貴殿がそうした〔共和政治礼賛の〕弊害をそのままにしておくことが心配だ、と。【②】だから改めて書簡に記して詳しく述べようと思う。

補注:
①「恐足下爲其害止于此」の意味がとれない。とりあえず「貴殿がそうした〔共和政治礼賛の〕弊害をそのままにしておくことが心配だ」と訳しておく。
②《辯妄》は「恐」字に返り点を付けず、「恐らくは足下 其の害を此に止むるを爲さん」と読む。あるいは《辯妄》の訓読が適切か。

02

02-原文:足下亦知所謂共和政事者邪。昔者周厲王無道、民不忍王、流王於彘、天下無君七年。同姓諸侯、恐周室之覆、相共適京師爲政、當時號爲「共和」。故「共和」者、天下無君群臣相共爲政之謂也。若必欲行之於皇朝、不知將置主上於何地。

02-訓読:足下も亦た謂ふ所の共和政事なる者を知らんや。昔者(むかし)周の厲王は無道にして、民は王に忍びず、王を彘に流し、天下に君無きこと七年。同姓の諸侯、周室の覆(くつがえ)らんことを恐れ、相ひ共に京師に適(ゆ)きて政を爲す。當時をば號して「共和」と爲す。故に「共和」なる者は、天下に君無く群臣相ひ共に政を爲すの謂ひなり。若(も)し必ず之を皇朝に行はんと欲すれば、知らず將(は)た主上を何れの地に置くかを。

02-意訳:貴殿もいわゆる「共和政治」なるもの〔の語源〕を知っているだろう。昔〔前842年ごろ〕、西周の厲王は無道で、人民は厲王に耐えられなくなり、厲王を彘(山西省霍州市)に追放し、天下に君主がいない状態が七年間続いた。〔周王室と〕同じ姫姓の諸侯たちは、周王室が転覆することを恐れ、一緒に王都(京師)に行って〔共同で〕政治を行った。当時を「共和」と呼ぶ。だから「共和」とは、天下に君主がおらず群臣がともに政治を行うという意味である。もし何としてもこの共和政治を日本で行いたいならば、はたまた今上陛下をどちらの地へお置きすればいいというのか。

03

03-原文:《傳》曰「君親無將。將而誅之。」今也公然、唱廢立於私塾、而爲之師者、亦不知禁之。以我道論之、赤族不足以償其罪、寧暇問其是非哉。

03-訓読:《傳》に曰く「君・親には將にせんとする無し。將にせんとすれば而(すなわ)ち之を誅す」と。今や公然と、廢立を私塾に唱へ、而(しか)も之が師と爲る者も、亦た之を禁ずるを知らず。我が道を以て之を論ずれば、赤族も以て其の罪を償ふに足らず、寧んぞ其の是非を問ふに暇あらんや。

03-意訳:《春秋公羊伝・昭公元年》の伝に「〔臣下や子供は〕君主や両親に対して反逆しようとしてはならない。もし反逆しようとすれば、〔たとえ実際には全く何も行動に移していなかったとしても、ただそう考えただけで〕即座に誅殺する」と言う。〔ところが〕今や公然と、学生たちが今上陛下の廃立について私塾のなかで議論し、しかもその教師たる者もそれを禁じようとしない。私の道義にもとづいてこれを論評すれば、一族誅滅でもその罪を償うに足りない。〔国家に於いて国君とはそれくらい神聖不可侵な存在であるのに、天皇制を廃して共和制へ以降すべきか否かという命題について〕どうしてその是非を問う余地があろうか、いやない。(日本に共和制などあり得ない)

補足:本説の「私塾」とは、中村正直が明治6年3月に開いた英語塾「同人社」であろうか、塾生の議論を制止しない「師」とは中村正直であろうか、待考。

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