安井息軒〈辨妄・五〉01

(一)

01-原文:曠古草昧、聖人之道未明、而人之好智喜怪、必欲知天・地・生民之初。是以皇國有神人產國之說、漢土有鍊石補天地之言、不獨耶和華造天地也。
 當少暤氏之衰、民神雜柔、不可方物。夫人作享、家爲巫史、無有要質。顓頊受之、乃命南正重司天以屬神,命火正黎司地以屬民、以絕地天之通。於是人紀始以建矣。及堯舜氏興、敘有典、秩有禮、命有德、討有罪、威之以五刑、勸之以九德。自時其後、聖人代興、禮樂制度窮極其盛。孔子序《書》、斷自唐虞、以其不可爲教也。故治天下之道、莫僃於漢土焉。
 西土遠漢、未聞聖人之道、而亦無可以易耶和華者。且西人明於天文、晰於地理。若夫妄誕、必有能辯之者矣。智者恐革之激其變、黠者欲藉以拓其境。是以未能變曠古之習焉耳。


01-訓読:曠古は草昧にて、聖人の道未だ明らかならざれば、人の智を好み怪を喜ぶや、必ず天・地・生民の初めを知らんと欲す。是を以て皇國に神人 國を產むの說有り、漢土に石を鍊りて天地を補ふの言有り。獨り耶和華のみ天地を造るに不(あら)ざるなり。

 少暤氏の衰ふるに當たりて、民神雜柔して、方物すべからず。夫れ人 享を作り、家 巫史と爲り、要質有る無し。顓頊之を受け、乃ち南正重に命じて天を司らせて以て神を屬せしめ、火正黎に命じて地を司らせて以て民を屬せしめ、以て地天の通を絕つ。是(ここ)に於いて人紀始めて以て建つ。
 堯舜氏の興るに及びて、有典を敘し、有禮を秩し、有德を命じて、有罪を討ち、之を威(おど)すに五刑を以てし、之を勸むるに九德を以てす。時(これ)より其の後、聖人代々興(おこ)り、禮樂制度其の盛を窮極す。
 孔子《書》を序すに、唐虞より斷ぜしは、其の教を爲すべからざるを以てなり。故に天下を治むるの道は、漢土より僃はれるは莫し。

 西土は漢に遠く、未だ聖人の道を聞かずして、亦た以て耶和華に易ふべき者無し。且つ西人は天文に明らかにして、地理に晰(あき)らかなり。夫の妄誕の若(ごと)きは、必ず能く之を辯ずる者有らん。智者は之を革(あらた)むるに其の變を激せんことを恐れ、黠者は藉(か)りて以て其の境を拓(ひら)かんと欲す。是を以て未だ曠古の習を變ずること能はざるのみ。

01-意訳:遥かに遠い昔は社会も未開で文化も発達しておらず、「聖人の道」もまだ明らかになっていなかったので、人々は機知に富んだ話を好み、怪異譚を喜び、どうにか天地やヒトの始まりについて知りたいと思っていた。
 そういうわけで、我が皇国には〔伊邪那岐と伊佐那美の二柱の〕神々が国土を産んだという説があるし、中国(漢土)には〔女媧が五色の〕石を鍊って天地を補修したという話がある。ただ〔キリスト教の〕ヤハヴェだけが天地を創造した〔と言われている〕わけではないのだ。〔そして世界各地には、天地を創造してヒトを作った造物主の神話がそれぞれ伝承されているはずだ。〕
 〔「五帝」と尊称される中国古代の五人の聖王の一人である〕少暤氏の治世が衰退すると、〔祖先神や山川の神々といった祭祀すべき正統な神々のなかに、呪術師が人民を惑わし支配するためにでっち上げた悪神や、迷信に由来する〕民間信仰の神々が混ざり込んで、分別できなくなってしまった。人々は勝手に供物や生贄を捧げる祭祀(享)を作りだし、家々の者が勝手に巫史(かんなぎ)となって〔正体不明の神々を祀りだし〕、”神明に誓う”という行為が持つ誠実さや真摯さが失われてしまった。

 顓頊はその〔父親である少暤氏の〕跡を次ぐと、南正という官職の重氏に命じて「天」〔つまり宗教〕に関することを管理させて、神事全般をその管轄下に置かせ、火正という官職の黎氏に命じて「地」〔つまり農業〕に関することを管理させて、民事全般をその管轄下に置かせ、そうして「地」〔つまり民政〕と「天」〔つまり宗教〕のつながりを断ち切った。こうして、初めて〔宗教の干渉を受けないヒトの領域が確立され、宗教が要求する戒律とは異なる、〕人間社会の倫理規範(人紀)というものが成立した。

 〔時代が下って〕堯と舜の治世が興隆すると、典則を定め、礼制を立て、有德者を重職に任命して、罪人を討伐し、人民に向かって「五刑」を示して警告し、「九德」を掲げて奨励した。これより後は、〔夏禹や殷湯、周の文武などの〕聖人〔の治世〕が次々と交代するように興隆し、礼楽制度が隆盛を極めた。

 孔子が〔経書として聖王の言行録である〕《尚書》を編纂するにあたって、堯と舜(唐虞)より〔古い時代の聖王の事績を全て〕切り捨てたのは、〔堯・舜以前には礼楽制度がなかったためか、《史記》や《淮南子》などを見るに人倫に反する逸話も多く、そうした時代のことを教材として取り上げて〕教育を行うわけにはいかない〔と判断した〕からである。〔孔子の配慮は本当に行き届いていると言うべきで、それと比較すれば、キリスト教は後学のことなど考えもせず、伝承だからという理由で馬鹿げた神話や不道徳的な逸話をそのまま《聖書》に盛り込んでおり、思慮に欠けると言わざるを得ない。〕だから、天下を治めるための方策(道)は、中国よりも備わっている国はないのである。
 西洋は中国から遠いため、〔西洋人は〕まだ「聖人の道」(=孔子の教え)を伝え聞いたことがなく、ヤハヴェに代わるものもない〔から、取り敢えずキリスト教を信奉しているだけだろう〕。かつ、西洋人は天文に明るく、地理に詳しい〔ことから分かるように、決して頭脳の働きは鈍くない〕。例の〔キリスト教が説く〕でたらめ(妄誕)など、弁難できる〔だけの知性を持つ〕人物がきっといるはずだ。

 いったい智者は改革にあたって変化が激的になることを心配し、狡猾な者は〔旧弊を改めるよりも〕現状にすがって自分の縄張りを広げようとするものだ。〔つまり、良かれ悪しかれ賢い者は現状を変えたがらないのだ。〕こういうわけで、〔西洋では〕いまだに遥か昔からの〔キリスト教という〕悪習を改めることができないだけなのだ。

余論:息軒の文化人類学。
 息軒は、古代人の”天地の始まりやヒトが生まれた原因について知りたい”という欲求が創世神話を生んだと考え、日本の国生み神話も中国の女媧伝説も《聖書》の創世記も、そうした古代人の知的欲求の産物に過ぎないと断じる。
 日本神話は皇国史観の基礎であり、天皇による日本列島支配、つまりは明治新政府の正統性を支える根幹であり、これを考証学的見地から批判した歴史学者が大学を追われるという事件も後々には起こるのだが、明治6年(1873)の時点では、日本神話を「怪を喜ぶ」古代人の作り話と評しても、特に問題は生じなかったらしい。

 また息軒は、精緻な天文学と地理学を構築した西洋の知識人であれば、《聖書》の記述に疑念を抱いているはずだという。息軒の推測はあたっていて、18世紀のフランスでは《聖書》に対する理性批判が行われたし、幕末維新期の頃といえば、西洋ではダーウィン《種の起源》(1858)やメンデルの遺伝の法則(1865)、ミルの《宗教三論》(1874)が相次いで発表されている。

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