安井息軒〈擬乞禁夷服疏〉06

原文-06:且鮑肆忘臭、推愛於屋烏、人情所趣、不可不慎。臣請舉其一而證之。自佛法入皇國、奉其敎者、髠其首、緇其衣。外形旣變、內志從而移。苟有議其法者、號曰「佛敵」。其心曰「寧殺君父、不敢毫背佛陀」。至有率其徒與王侯交戰者。是既然之明徴也。

訓読-06:且つ鮑肆臭を忘れ、愛を屋烏に推すは、人情の趣く所にして、慎まざるべからず。臣請ふ其の一を舉げて之を證せんことを。
 佛法の皇國に入りてより、其の敎を奉ずる者は、其の首髠し、其の衣緇す。外形旣に變ずれば、內志も從ひて移る。苟しくも其の法を議する者有れば、號して「佛敵」と曰ふ。其の心に曰く「寧ろ君父を殺すとも、敢へて毫も佛陀に背かざらん」と。其の徒を率ゐて王侯と交戰する者有るに至る。是れ既然たるの明徴なり。

意訳-06:なおかつ「鮑肆に臭いを忘れる」〔、すなわち干物屋(鮑肆)に長く居ると、干物の臭さを感じなくなるように、意識の低い人に囲まれて毎日を過ごしているとこちらの意識まで低くなる〕ことや「愛を屋烏に推す」〔、すなわちヒトに好意を抱くと、そのヒトの家の屋根にとまっている烏まで好ましく思えてくる〕ことは、ヒトの心理(人情)的傾向で、慎重にならなければなりません。
 どうか私(臣)に一例を挙げて、このことを証明させてください。
 仏教(佛法)が皇国日本に伝来してから、その教義を信奉する者どもは、頭を丸め(髠)、黒い僧衣を着ています。外見がすでに〔和装から僧侶姿に〕変わっていますので、内面(內志)も〔僧侶姿という外見に〕引きずられて〔仏教優先に〕移り変わっています。もし仮にその教義を批判(議)する者がいれば、〔領主であれ両親であれ、〕名付けて「仏敵」と呼びます。〔彼らは〕心の中では「たとえ君主や両親を殺すことになっても、仏陀〔の教え〕には少しも背くまい」と考えています。〔それで、僧侶の中には〕その信徒を率いて領主(王侯)と交戦する者が出てくるに至りました。これは、〔「一向一揆」という形で戦国時代に〕すでに生じている明白な証拠(明徴)です。

余論-06:衣装が精神に及ぼす影響(制服効果)
 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉があるが、ヒトがある対象に強い感情を抱いた場合、その感情は対象の周辺にまで及ぶことが通例である。犯罪被害者は、しばしば加害者の肉親にまで憎悪を向けるものだし、Kpopが好きな若者は韓国に好意的だし、日本のアニメが好きな外人は初対面の日本人に対してフレンドリーだ。

 息軒が言おうとしているのは、”袈裟を好きになれば、坊主まで好きになるだろう”ということである。
 たかが衣装だが、特定の衣装を日常的に身にまとい続ければ、精神に影響が出る。俗に「制服効果」といわれるが、ヒトは囚人服を着ていれば囚人のように、看守服を着ていれば看守のように振る舞い、考えるようになる。
 当然、僧服を着ていれば、僧侶のように振る舞い、考えるようになる。

 息軒の念頭には、仏教がかつて日本各地で引き起こした「一向一揆」があるのだろう。たとえ生粋の日本人であろうと、「袈裟」という異国の衣服を身にまとって、「南無阿弥陀仏」という異国の言葉を唱えていれば、骨の髄から「仏法」という価値観に染まってしまい、やがて教団内の価値観を社会秩序に優先させるようになり、ついには武装叛乱も辞さなくなる。
 そして、いま、洋装と欧米語を容認している。これが、近い将来、一向一揆に似た宗教武装叛乱を引き起こす遠因にならないと、誰に言い切れようか。

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