安井息軒〈辨妄・五〉

解題

 安井息軒は、明治6年(1873)2月~5月にかけて、《教義新聞》誌上において〈辨妄〉全五篇を発表、キリスト教批判を展開し、キリスト教禁令の存続を支持した。この五編に〈鬼神論・上〉と〈与某生論共和政事書〉を合併した《辯妄》が、早くも同年夏に島津久光の序文を付して刊行され、その年末には和訳(書き下し文)である安藤定《弁妄和解》が刊行された。
 
 豊臣秀吉の「伴天連追放令」(1587)以来、実に290年の長きにわたって維持されてきたキリスト教禁令は、明治新政府の「五榜の掲示」にも継承されていたが、欧米にて不平等条約改正に苦戦する岩倉具視の要請もあって、〈辨妄・一〉が掲載された直後の明治6年2月末日を以て解禁される。
 解禁を防ぐという本来の目的からいえば、確かに〈辨妄〉全五篇の発表は遅きに失した観もあるが、タイミングからいえば、解禁令を受けて日本人への布教に乗り出そうした宣教師たちの出鼻をくじく強烈なカウンターとして機能した。
 実際、〈辨妄〉全五篇は英国人宣教師の手によりただちに英訳され、2年後の明治8年(1875)には、横浜に拠点を置くJapan Mail社より、John Harington Gubbins《BEMMO or EXPOSITION OF ERROR(BEING A TREATISE DIRECTED AGAINST CHRISTLANITY)》として刊行されている。(参照:山本幸規〈安井息軒の「弁妄」と明治初年のキリスト教界〉)

※山本幸規論文より孫引き:
Introduction:「〔辨妄の英訳を通じて、〕キリスト教の諸教理に対して教養ある日本人が示した反論を明らかにする」「新しく日本にやってきた宣教師が教養ある日本人にキリスト教を布教する際、反論された場合に備えると同時に、日本人がキリスト教を受け入れる上での障害を明らかにするだろう」(原文・英語)
書評:「西洋思想との接触で日本人の心に生じた作用を観察することに関心を持つ知的外国人に貢献する」「著者(安井息軒)に対して(聖書を)精読したことが我々に深い尊敬の念を懐かしめる」「新旧約聖書に現れた宗教を受け入れるに際して、日中文化精神によって生じる困難さを知る絶好の書物」(原文・英語)

 明治14年、すなわち「国会開設の詔」が出され、日本が立憲君主制を目指すことが宣言された年、息軒最後の高弟である松本豊多の標柱を付した《辯妄標注》が刊行される。
 これと呼応するように、中村正直の弟子で日本メソジスト教会の牧師でもある平岩愃保(1857-1933)が《六合雑誌》上に〈辨妄批評〉を連載した。これが、〈辨妄〉に対するキリスト教サイドからの最初の本格的な反駁ということになる。
 山路愛山は、学生時代に息軒の〈辨妄〉を読んで感動を覚えたが、後に平岩愃保の〈辨妄批評〉を読んで得心し、平岩愃保の手で洗礼を受けてキリスト教徒となっている。

 その後、明治24年(1891)に「内村鑑三不敬事件」(1891)が起こり、明治26年(1893)に井上哲次郎が《教育と宗教の衝突》にて国内の基督教徒を批判した際に、〈辨妄〉を丸々一篇引用している。
 井上哲次郎に対して、山路愛山は〈安井息軒「辨妄」〉のなかで、「博士井上哲次郎も彼れ(※安井息軒)に後るること十餘年、同じ論鋒を以て耶蘇教の國體に合せず教育に害あることを非難せり」と皮肉を述べた。

 また、大正15年(1926)、芥川龍之介は〈拊掌談〉のなかで次のように述べた。

※芥川龍之介「「辨妄和解」から」・〈拊掌談〉
安井息軒の「辨妄和解」は面白い本だと思ふ。これを見てゐると、日本人は非常にリアリスチツクな種族だと云ふ事を感じる。一般の種々な物事を見てゐても、日本では革命なんかも、存外雑作なく行はれて、外国で見る様な流血革命の惨を見ずに済む様な気がする。


 〈辨妄〉全五篇の内訳を述べれば、まず一~三は《旧約聖書》と《新約聖書》の〈福音書〉(イエスの言行録)の記述に対する一種の理性批判であり、その論理的矛盾や反倫理性を指摘することに努めている。
 息軒は、恐らく漢訳《聖書》を読み込んだものと思われるが(日本語訳《聖書》の刊行は明治13年(1880))、誤訳によるものか、誤読によるものか、例えば”イエスは徴税官を敵視していた”といった誤認識がある。実際には、ローマの徴税官を敵視していたのはユダヤ社会であり、イエスは彼らを差別しなかったと描写されている。

 次いで四は、キリスト教が日本社会に及ぼすであろう悪影響について論じている。ただ、その論旨は儒者による仏教批判をそのままキリスト教批判に転用したもので、独自の見解に乏しい。そもそも息軒は、輪廻転生を除けば、仏教とキリスト教の教義に実質的な違いはないとしている。

 そして五は、キリスト教の天動説と天地創造説に対する反駁として、地動説と自然発生説を解説している。ただし、陰陽二気論への傾倒が見え、月の満ち欠けと女性の月経の相関性などを指摘するのみならず、《易伝》の理論に基づき男女の産み分け方法を解説するなど、迷走が見られる。それでも〈辨妄・五〉は、息軒の宇宙論・生命論・歴史観を示す好資料といえる。

 これまで〈辨妄〉全五篇は、キリスト教史研究者によって、その「キリスト教批判部分」への分析が施されてきた。だが、本報告では息軒思想の基礎的研究の一環として、その自然科学観を明らかにしたい。

凡例

一、本稿は、安井息軒〈辨妄・五〉の解題・原文・訓読・現代語訳ならびに余論である。
一、底本は、《辯妄》(中西原八藏版、1873年、13頁表-16頁表)を用いる。また、該書を重版した安井息軒著・松本豊多標注《辯妄標注》(出版人:石橋徳次郎、明治14年(1881))、並びに安井息軒著・岡田武彦校注〈弁妄〉(《日本思想体系》47)を参照する。
一、原文の字体は、フォントの許す限り正字体で統一する。底本の俗字・異体字は、正字体に改める。
一、訓読は、底本に付された読点と返り点とに従う。また、安藤定《辯妄和解》(《明治文化全集》23所収 )の訓読を参考にする。
一、現代語訳は、書き下し文と対応するよう心がける。補足説明は〔 〕でくくって訳の一部として読めるようにし、かつ〔 〕部分を隠せば書き下し文の直訳となるよう工夫する。
一、段落分けは、底本にはないため、訳者が文脈から判断して行う。
一、句点は、底本にはないため、訳者が文脈から判断して、一部の読点を句点に改める。


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