安井息軒〈地動説〉05

原文-05:蓋地球之徑、約三萬五千里。日之距地面、三萬一千七百萬里。自乘加地徑、日躔之徑、六萬三千四百萬零三萬五千里。以三一六乘之、日之規於大空、約二十萬萬餘里、可謂至遠矣。且天下之物、大者遲、而小者疾。大陽之大於地球、一百三十八萬四千四百七十倍。而一晝夜之頃、行二十萬萬里之遠、其疾萬倍銃子、猶未能周。有此理乎。儒者生而見聞之、習焉而不察。故以爲當然、不見其可怪耳。

訓読-05:蓋し地球の徑は、約三萬五千里なり。日の地面より距つること、三萬一千七百萬里なり。自乘して地徑を加ふれば、日躔の徑は、六萬三千四百萬零三萬五千里なり。三一六を以て之に乘すれば、日の大空を規すること、約二十萬萬餘里、至遠と謂ふべし。
 且つ天下の物は、大なる者は遲くして、小なる者は疾(はや)し。大陽の地球より大なること、一百三十八萬四千四百七十倍。而るに一晝夜の頃に、二十萬萬里の遠きを行くは、其の疾きこと銃子に萬倍すとも、猶ほ未だ周(まわ)る能(あた)はざらん。此の理有らんや。
 儒者は生まれて之を見聞し、習(な)れて察せず。故に以て當然と爲し、其の怪しむべきを見ざるのみ。

意訳-05:思うに地球の直径は、約3万萬5000里〔、メートル法に換算すれば、漢代の尺度では1里が約0.4kmなので、約1万4000km〕である〔。なお現代天文学では、地球の赤道直径は1万2742kmである〕。太陽が地面から離れている距離は、3億1700万里〔、メートル法に換算すれば、漢代の尺度では1里が約0.4kmなので、1億2680万km〕である〔。なお現代科学では、地球から太陽までの平均距離は1億4960万kmである〕。これを2倍して地球の直径を加えれば、〔天動説を是とした場合における〕太陽の周回軌道の直径(日躔の徑)は、6億3403万5000里〔、メートル法に換算すれば、漢代の尺度では1里が0.4kmなので、 2億5361万4000km〕である。〔この数値は地動説でいえば、地球の公転軌道の平均直径に該当し、現代天文学では楕円軌道の長径は約2億9920万km(近日点距離+遠日点距離)である。 〕。これに円周率(三一六)をかければ、〔天動説を是とした場合に〕太陽が大空に〔コンパスで引いたように〕円を描くこと、〔つまり太陽の運行軌道の全長は〕約20億里余り〔、メートル法に換算すれば、漢代の尺度では1里が約0.4kmなので、約8億km。これは地球の公転軌道の全長に相当し、現代天文学に準拠すれば、2天文単位×3.14で約9億3948万km〕、とてつもない長さ(至遠)というべきである。

 そのうえ世の中〔天下〕の物は、大きいモノは〔移動速度が〕遅く、小さなモノは〔移動速度が〕速い。【※1】大陽は地球より大きいこと、138万4470倍である。しかるに、一昼夜の間に20億里の長さを行くには、その速さが銃弾の1万倍だったとしても、まだ周回しきれないだろう。〔それなのに、天動説では昼夜が生じるのは、太陽が毎日地球を一周しているからだという。〕こんな理屈があるだろうか、いや、ない。〔それくらいなら、太陽が遠方に静止していて、地球が一日一回自転することで昼夜の別が生じていると考えるほうが、よほど無理がない。〕

 儒者は〔伝統的に「天動説」を信奉してきた儒教社会に〕生まれ、これ〔、すなわち「天動説」〕を見聞きし〔ながら育ったため〕、〔「天動説」にすっかり〕慣れ切って詳察しない。故に〔「天動説」を〕当然〔の常識〕としてしまい、その怪しげな点に目を向けないだけだ。

補注:
 息軒は、体験にもとづいて大きく重いモノほど遅いと考えているが、物理的にいえば、正しくない。重いモノは、ただ加速するためにより大きな力を要するというだけで、総質量に関わりなく、力を加え続ければ、何であれいつかは光速度に達する。ただ同じ力で押した場合、質量の大きい物体は加速度が小さくなり、遅く見えるだろう。

余論-05:天動説批判。
 地球と太陽の相対距離は約1億4960万km(1天文単位)である。
 もし天動説に従い、静止する地球の周りを太陽が周回することで昼夜が生じていると考えるなら、太陽は1日に全長9億kmの円軌道を周回しなければならないが、この距離は太陽-地球間の距離の2倍に円周率をかけた数値なので、地球の公転軌道の全長に等しい。地球が1年365日を費やして周回している距離を、太陽が1日で周回できるわけがない……というのが、息軒の批判である。

 息軒の批判は、もしかすれば、中井履軒「天図」のような、西洋天文学が作成した“太陽を中心とした太陽系模型図”を地球を定点として再構成し直した地動説ーー物体の位置や速度は相対的に決まるので、地球は不動で全宇宙が地球を中心に日周運動をしていると言い張ることは、一応、可能。だが、地球から何光年も離れている星は、たとえ光速で移動しても24時間で地球を周回することはできないので、矛盾が生じる。結局、地球が自転していると考えたほうが無理がないーーを想定したものではないだろうか。

 「三一六」は円周率3.14の近似値であろう。
 中国では円周率に関して、まず後漢の張衡が √10=約3.162とし、三国時代に呉の王蕃が142/45=約3.1555、魏の劉徽は3.14 + 64/62500 < π < 3.14 + 169/62500とし、南朝の祖沖之が3.1415926 < π < 3.1415927としている。
 息軒は、張衡の円周率を採用したらしい。

 儒者と言えば、一般的に”伝統文化に固執する守旧派”という印象が強い。息軒のような、昌平黌儒官を務めた老儒ともなれば、なおさらである。
 だが、息軒は、たとえ常識であっても、疑うべきは疑えと説き、伝統的世界観の書き換えを迫る。そして世間一般の儒者が、天動説を常識とする社会で育ったというだけで天動説を鵜呑みにして、その明らかな矛盾点に対して考察してみようとさえしない知的怠慢を批判する。
 息軒が幕末維新期の思潮を決定づけたとまで主張する気はないけれど、あるいは、幕末維新期の知識人たち、特に明治維新を推進した保守層が如何なる気概で以て西洋文明に対峙していたかが、息軒の言説から汲み取れるとしても、そう大きく外れてはないないだろう。

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