安井息軒〈地動説〉08
原文-08:然則聖人非矣乎。曰道不同也。聖人主於教、因眾人所耳目而立言。言旣立而道寓焉。西洋主於理、理之所在、雖涉回僻、而必究之。孟軻曰、「堯舜之智、而不周物、急先務也」。荀卿曰、「不急之務、無用之辨、君子不爲也」。夫聖賢盡心究慮者、欲使斯民各得其所耳。故天地陰陽動靜之義、足以補世教而資民用則止。否則雖易知如日食、易辨如彗孛、猶且舍而不論。又何暇索隠捜賾、以沒心於無用之理哉。
訓読-08:然らば則ち聖人非ならんか。曰く道同じからざればなり。聖人は教を主とし、眾人の耳目する所に因りて言を立つ。言旣に立て道寓(やど)る。西洋は理を主とし、理の在る所、回僻に涉(およ)ぶと雖も、必ず之を究(きわ)む。
孟軻曰く、「堯舜の智にして、物を周(あまね)くせず、先務に急ぐなり」と。荀卿曰く、「不急の務、無用の辨、君子は爲さざるなり」と。
夫れ聖賢の心を盡くして慮を究むるは、斯民をして各々其の所を得しめんと欲するのみ。故に天地・陰陽・動靜の義は、以て世教を補ひて民用を資くるに足るれば則ち止む。否(しからず)んば則ち知り易きこと日食の如く、辨じ易きこと彗孛の如しと雖も、猶且つ舍てて論ぜず。又た何ぞ索隠捜賾して、以て心を無用の理に沒するに暇(いとま)あらんや。
意訳-08:それでは〔我々東洋人がこれまで信奉してきた〕「聖人」は間違っていたのか。〔答えて〕言う、〔そうではなく、東洋の「聖人」と西洋人では〕目指しているもの(道)が同じではないからだ。
〔東洋の〕「聖人」は〔人民の〕教化を主としており〔、人民にも理解しやすいように〕、多くの人々(眾人)が普段から見聞きしている事象にもとづいて教説を立てた。〔分かりやすい〕教説がすでに立てば、道徳(道)が〔多くの人々に〕やどる。
西洋は客観法則(理)を主とし、客観法則(理)が存在する〔と予測される〕事象は、〔大して重要な事象ではなく、わざわざ解明に労力をさく意味もなく、そのまま分析を〕回避できるとしても、必ずそれを究明〔しようと〕する。
〔性善説で知られる〕孟子(孟軻)は「堯舜は〔森羅万象に精通できるだけの〕優れた知能(智)を有していたが、〔それでも、その知能(智)の働きを〕あらゆる事物に均等に振り分けたりせず、〔所謂る「選択と集中」の方針にたって、〕火急の事務に優先的に振り向けた」という。
〔また性悪説で知られる〕荀子(荀卿)は「不急の用事(務)と無用な議論(辨)を、「君子」はしないものだ」と言った。
〔東洋の「聖人」が敢えて「地動説」を説かなかったのも、それが一般社会にとって不要不急の問題に過ぎなかったからである。言い換えると、天文学に重要なのは農時をきちんと予測できることであって、その基本原理が天道か地動かは、人民が普通に生活していく上ではどうでもいいことなので、放置されていたということである。〕
そもそも聖人・賢者(聖賢)が頭を絞って考え抜く(盡心究慮)のは、〔世界の謎を解き明かすことなどではなく、ただ〕人民を一人ひとりが相応しい立場を得て社会に貢献できる(得所)ようにしたいということだけだ。
だから宇宙論(天地陰陽動靜之義)については、〔儒教という〕現実社会を導く教え(世教)を補足できて、〔農事暦や医術など技術面で〕民用の助けとなるのに事足りれば、〔もうそれ以上の探求は〕止めてしまう。さもなくば、〔つまり社会性や実用性に欠ける知識は、〕日蝕のように分かりやすいことや、彗星のように説明しやすいことであっても、破棄して説明しない。また、どうして隠された世界の真理だの真実を探し求めて(索隠捜賾)、意識を何の役にも立たない客観法則(理)の解明などに没入させている暇(ひま)があるだろうか、いや、〔聖人・賢者は人民の暮らしを改善することに忙しくてそんな暇など〕ない。
余論-08:実学重視。
息軒は実学志向である。飫肥藩に対して、種痘の実施や養蚕業の振興、二期作の普及などを建言したことからも、それはうかがえる。ひるがえっていえば、息軒は現実社会から乖離した、実用性を欠いた学問を否定する。例えば、仏教やキリスト教の教理や、朱子学の性理学、そして行き過ぎた科学知識などである。
息軒が経典注釈において清朝考証学を絶賛し、 その研究成果大いに活用しながら、自分自身では音韻や版本について研究する素振りも見せないのは、このあたりの考え方から来ているのかもしれない。
○
儒学には「爲己之学」という言葉があり、学問の第一の目的を“修身を通じて自分自身を高めること”とする考え方がある。だが、息軒自身は《時務一隅》において自らの学問を自嘲気味に「功利之学」だと定義し、そのうえで儒教の本分を“人民の暮らしを改善することだ”と喝破している。
「功利之学」という学問姿勢は、明治維新において、日本が知的人材を西洋文明の受容・解析・日本化に集中させることを後押ししたものと思われる。その思潮が、全て息軒の影響だと主張するつもりはないけれど、息軒のようなアカデミック分野の頂点に君臨した儒宗が「功利之学」を標榜していた事実は、もう少し注目されてもいいように思う。
○
前段で、息軒は儒家伝統の「天動説」を完全に否定し、西洋の「地動説」への支持を表明した。だが、儒学の経書は「天動説」を踏まえて著述されているため、当然のごとく、経書の著者たる「聖人」に対して「然らば則ち聖人非ならんか」という疑惑が生じる。儒者として「聖人」の無謬性を否定することはできない。そこで息軒は「道同じからざればなり」と回答する。
つまり「聖人」は人民の暮らしを改善することに全精力を傾けていて、宇宙論のような緊急性がない問題には労力を割かなかったのだという。
報告者なりに補足すれば、「聖人」は、例えば君臣関係や父子関係の絶対性を説明する上で便利だから、比喩として「天動説」のモデルを採用したまでで、「天道説」が客観的に正確か否かは二の次である。天道であろうが地動であろうが、普段暮らしていく上ではどうでもいい問題だからである。
また医術や農事暦のような人民の生活の助けになる範囲では陰陽論を解説するが、それ以上のことは生活に関係がないので敢えて説明しない。
これは、息軒の宗教観とも相通ずる姿勢である。息軒は功利主義的宗教観の持ち主で、その《鬼神論》は、宗教儀礼とは、蒙昧な民草が災害への畏怖心から生み出した「神」観念を利用して、民心を安定させて社会秩序を強化するための舞台装置として、「聖人」が任意に作り上げたと説明する。「天動説」も、「鬼神」概念同様、「眾人の耳目する所に因りて言を立つ」という方針から採用されたのだ……と、息軒は強弁する。
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