安井息軒〈與某生論共和政事書〉06-07

06

06-原文:至共和政事之害、抑又甚焉。夫人之難知、甚於隔墻見物。以堯之大聖、廣咨賢材於群臣、而爲之臣者、又非皆阿黨謀利之人。然或勸鯀、或稱共工。何則其知有所限也。禹曰、「知人則哲、維帝難之」。孔子亦曰、「眾好之、必察焉。眾惡之、必察焉」。故唯聖知聖、唯賢知賢。今以尋常之人、舉其所賢、雖盡心公撰、亦各止其所見、未必得特絕之才。

06-訓読:共和政事の害に至りては、抑(そもそ)も又た甚だし。夫れ人の知り難きは、墻を隔てて物を見るより甚だし。堯の大聖を以て、廣く賢材を群臣に咨(はか)り、而も之が臣たる者も、又た皆な阿黨謀利の人に非ず。然れども或ひは鯀を勸め、或ひは共工を稱(たた)ふ。何となれば則ち其の知に限る所有ればなり。
 禹曰く、「人を知れば則ち哲、維れ帝も之を難しとす」と。孔子も亦た曰く、「眾之を好むも、必ず察す。眾之を惡(にく)むも、必ず察す」と。
 故に唯だ聖のみ聖を知り、唯だ賢のみ賢を知る。今尋常の人を以て、其の賢とする所を舉げ、心を盡して公撰すと雖も、亦た各々其の見ゆる所に止まり、未だ必ずしも特絕の才を得ず。

06-意訳:共和政の害悪に至っては、もとよりまた甚だしいものがある。そもそも人物〔の才覚や人間性〕を〔正確に〕知るのが難しいことは、障壁ごしに物〔の形状〕を〔正確に〕見定めること以上だ。〔古代の聖王である〕堯がその「大聖」〔としての知徳〕でもって、ひろく才知に優れた人物(賢材)について群臣たちに相談して、しかもその〔諮問に答申した〕臣下である者たちも、またみな〔忠臣ぞろいで、〕徒党を組んで他人に阿(おもね)ったり自分の利益のために謀略をめぐらせるような人々ではなかった。しかしながら〔彼らは四罪の一人である〕鯀を推薦したり、〔同じく四罪の一人である〕共工を称えた。なぜかといえば、その「知」に限界があったからだ。
 だから禹は〔《尚書・皐陶謨》で〕「もし人物について〔正確に〕知ることができれば「哲」であるが、これは〔堯や舜のような〕聖帝にとっても難しい」と言っている。孔子もやはり「たとえ大勢の人々が彼を支持していても、私はそれを鵜呑みにはせず、必ず自分で見て判断する。たとえ大勢の人々が彼を嫌悪していても、私は迎合したりせず、必ず自分の目で判断する」と言っている。
 だからただ聖人だけが聖人が分かり、ただ賢者のみが賢者が分かる。今、普通の人〔がその平凡な知力〕でもって、自分が賢者と思う人物を挙げて、できる限り厳正に公選したとしても、やはり〔選ばれるのは凡人なりの視点から〕それぞれ見える範囲内に留まり、〔共和主義者は「大勢で選べば間違いない」と言うが、〕必ずしも卓絶した人材を得られるとはかぎらない。

06-余論:息軒による共和政の根本的欠陥(その一)。
 民主共和政の基礎は、首長公選制である。封建君主制では、領民が領主を交代させたければ一揆や武力革命を起こすしか無いが、民主共和政では数年ごとの「選挙」を通じて平和裏に政権を交代させることが可能である。個人的に、民主政の特長は「国民が自分で首長を選べる」という点ではなく、「国民が血を流すことなく、首長を辞めさせられる」という一点に尽きるとと思う。
 話がそれた。息軒は共和政の「国民が自分で首長を選ぶ」という仕組みに対して疑問を呈する。
 息軒によれば、ヒトの「知」には限界があり、そのヒトなりの視点でしか物事を見極められない。そのため堯帝のような聖知を有する聖王ですら、舜を見出すまでに、後継者選びに失敗したことがあるし、堯帝の賢臣たちでさえ、誤って鯀や共工といった四罪を推薦したことがある(共工を推薦したのは、堯帝の息子讙兜(丹朱)だが)。まして普通の人々に優れた人物を選出することなぞ可能なのか、と息軒は指摘する。
 息軒の言わんとするところを、我々は2009年衆議院総選挙と2016年米国大統領選挙を通じて目撃したはずである。

07

07-原文:且其所舉、素無君臣之分。甲不可則推乙、乙不可則推進丙、易置之如奕棋然。而其有才藝者、苟見推於眾人、皆可以國柄。於是養望干譽、冀中其撰。旣得之、又恐失之、而國非其國、民非其民、安危存亡、如胡人視越人肥瘠。其所施爲、仰權豪鼻息、以爲之向背、唯恐失其意而廢黜。

07-訓読:且つ其の舉ぐる所、素より君臣の分無し。甲不可なれば則ち乙を推し,乙不可なれば則ち丙を進め,之を置き易ふること奕棋の如く然り。
 而して其の才藝有る者、苟しくも眾人に推さるれば、皆な以て國柄を握るべし。是に於いて望を養ひ譽を干め、其の撰に中ることを冀(こひねが)ふ。
 旣に之を得れば、又た之を失ふことを恐れて、國は其の國に非ず,民は其の民に非ず、安危存亡も、胡人の越人肥瘠するを視るが如く、其の施し爲す所は、權豪の鼻息を仰ぎ、以て之が向背を爲し、唯だ其の意を失ひて廢黜せらるるを恐るるのみ。

07-意訳:かつ、その〔共和政が選挙によって〕選ぶ候補には、もとより身分制限(君臣の分)がない。〔封建君主制では、継承権保有者は現行君主の血縁者に限られているため、次期君主候補の人数には限りがあり、おいそれとは君主を交代させられない。しかし共和政では、国民全員に首長の座につく資格があるため、次期首長候補者はそれこそ無限に存在する。だから共和政では〕AがダメならBを推し,BがダメならCを進めるというように、〔簡単に首長の首を〕すげ替えていく様子は囲碁〔で碁石をパチパチと打つか〕のようである。
 そうして才能(才藝)ある者は〔出自はどうあれ〕、もしかりに大勢の人々に推薦されれば、みな〔一足飛びに〕国家権力(國柄)を握ることができる。こういうわけで〔才能ある者たちは競って〕声望を高め名誉を求めて、その選に当たることを強く願う。
 すでに〔選挙で選ばれて〕国家権力を手にしてしまえば、次はそれを失うことを恐れて、〔政権維持が目的化して、次の選挙で勝つために人気取り政策を打ち出すようになり、国益という観点を見失い、〕国家は自分の国家ではなく、国民は自分の国民ではなく、その安危存亡についても、まるで「越人の秦人の肥瘠を視るが如し」(越国の人間は、遠い秦国の人間のことには関心を持たない)という成語のように、〔為政者でありながら自国や国民のことに〕関心を抱かなくなり、その施政は、地元の有力者(權豪)の顔色をうかがって、そうして動静(向背)を決め、ただ彼ら〔有力者〕の支持を失って首長の座から降ろされることを恐れるばかりである。

07-余論:息軒による民主共和政の根本的欠陥(その二)
 息軒は、衆愚政治に陥る危険性を指摘する。民主共和政では国民全員に首長となる資格があるため、封建君主制よりも幅広く首長に相応しい人材を求めることができる反面、競争率の高さから政権獲得と政権維持が自己目的化して、人気取りのための衆愚政治に堕する恐れがある、と指摘する。
 ただ、それでも政治家が国民の全体の支持を取り付けようとしているうちはまだよいが、やがて選挙に強い影響力を持つ有力者(權豪)の顔色ばかりを気にして政策を決めるようになり、国益や国民全体の利益は二の次になる危険性を指摘してもいる。
 息軒の指摘するところを、我々は2020~2021年のコロナ禍で何度も目の当たりにした。

 「權豪」は「権貴豪強」の略、「権貴」は権力者で「豪強」は権勢家、意味合いとしては地元を牛耳るヤクザまがいの有力者(土匪悪覇)に近いが、現代資本主義国家に置き換えるなら「資本家」や「大企業」であろうか。
 息軒は《救急或問》や《時務一隅》のなかで、政治(武士)が経済(商人)の支配下に入りつつある現状を分析し、商人が利益を追求する過程で意図的に物資不足を引き起こして消費者(庶民)に損害をもたらした事例に言及し、商業抑制論を展開している。

 ちなみにカール・マルクス(1818-1883)の《資本論》刊行は1867年、明治維新の1年前、息軒が本篇を書く5年ほど前のことである。
 社会主義が日本へ伝播したのは比較的早く、司法省刑事局《日本社会主義運動史》(1929)によれば、明治3年(1870)刊行の加藤弘之《真政大意》が早くも「コムミュニズム」「ソシアリズム」に言及している。加藤弘之は、明六社でリベラリズムを支持する福沢諭吉と論争した際にも、リベラリズムとコムミュニズムは表裏一体だがどちらも間違っていると述べている。また西周も、明治10年(1877)以前に〈社会党の説〉を書いたといわれる。息軒の没年は明治9年(1876)である。
 なお《日本社会主義運動史》は、日本の社会主義は明治に始まると考えているが、たとえば石田梅岩の梅岩心学は日本発祥の社会主義思想と言われているし、そもそも儒家思想は世襲反対・インテリゲンツィア(知識人)による主導・民本主義などなど、社会主義思想と親和性が高いのではないかと思う。

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