安井息軒〈文会社約〉05
(05)
原文-05:一、會之題、主人必命二頁以上、以備後會結撰。
文心之宣也、命題起筆、本屬繆舉。然吾槽淺學、不得不姑借之以肆業。
若題果不入心、或則有緊急文字、不妨題外爲之、以通其窮。庶機不失文章本旨也。
訓読-05:一、會の題は、主人必ず二頁以上を命じ、以て後會して結撰するに備ふ。
文心の宣するや、題を命じて筆を起こせば、本は繆舉に屬す。然らば吾曹は淺學にして、之を姑借して以て肆業せざるを得ず。
若し題 果して心に入らず、或ひは則ち緊急の文字有らば、題外に之を爲し、以て其の窮を通ずるを妨げず。庶機(こひねが)はくば文章の本旨を失はざれ。
補論:《読書余適》
本段で息軒は「之を姑借して以て肆業せざるを得ず」といい、会合に際して会員たちに自分の原稿を批正してもらいたいと、述べている。実際、そうして完成したのが、息軒《読書余適》である。
《読書余適》とは、漢文で書かれた旅行記である。天保13年7月から同年8月にかけて、息軒は江戸を出て東北一周旅行に出かけており、その道中で見聞きしたことや感じたことが、日付順に記されている。
高橋智〈塩谷宕陰・木下犀譚批評安井息軒初稿「読書余適」〉によれば、慶応大学図書館斯道文庫には、息軒自筆の〈読書余適〉上下二冊の初稿が保管されているのだが、そこには木下犀譚が朱筆で、塩谷宕陰が藍筆で、それぞれ修正案を書き込んでいるという。
恐らく先に犀譚が上巻を、宕陰が下巻を読んで批正を加えた後、互いに交換して、また批正を加えたと見られる。塩谷宕陰と木下犀譚が修訂を加えた上で跋文を寄せたのは、天保14年9月のことである。
ちなみに本書には、黄遵憲(1848-1905)が息軒の高弟松本豊多に請われて序文を寄せている。また、明治33年(1890)に《睡余漫稿》(漢文)と合刊して出版され、後には中等教科書として採用されるに至る。
この出版された《読書余適》と、上述の塩谷宕陰・木下犀譚の修正案が入った初稿では字句に違いある。息軒が、友人二人の助言に従い、本文を書き改めたからである。