安井息軒〈與某生論共和政事書〉11
11-原文:況皇朝以忠孝建國、自神武天皇定都於橿原、列聖相承培殖其民、深仁渥澤、淪其脾腑。是以民尊之如神明、親之如父母、有言涉悖逆者、憎之如虺蜴。雖道有汚隆、運有否泰、一姓統御二千五百有餘年、以豐臣氏之豪奢、猶不敢覬覦神器、非亦以分素定邪。況今上英明、冲年能復舊物、百慶皆煕、未聞有失德之事、可謂不世出之主矣。而淺學無識之徒、欲取無君之邪說、以施之皇國、謂之赤族之罪、其誰爲不可。
11-訓読:況んや皇朝は忠孝を以て國を建て、神武天皇より都を橿原に定め、列聖相ひ承け其の民を培殖し、深仁渥澤、其の脾腑に淪(しず)む。是を以て民の之を尊ぶこと神明の如く、之に親しむこと父母の如く、言の悖逆に涉(かか)はる者有れば、之を憎むこと虺蜴(きえき)の如し。道に汚隆有りて、運に否泰有りと雖も、一姓の統御すること二千五百有餘年、豐臣氏の豪奢を以てすら、猶ほ敢へて神器を覬覦(きゆ)せざるは、亦た分の素(もと)より定むるを以てに非ずや。
況んや今上は英明にて、冲年にして能く舊物を復し、百慶皆煕(おこ)り、未だ失德の事有るを聞かず。不世出の主と謂ふ可し。而るに淺學無識の徒、無君の邪說を取りて、以て之を皇國に施さんと欲するは,之を赤族の罪と謂ふも、其れ誰か不可と爲さん。
11-余論:息軒による皇室論。
前段では共和政国家であるフランスとアメリカを取り上げて、その社会の不安定さを指摘した。本段では、日本社会の歴史的な安定性を指摘し、それが皇室を推戴してきたことによると強調する。
2020~2021年にかけて、我々は民主主義制度の脆弱さを目の当たりにした。コロナ対策の強度は、各国が国家権力による私権の制限をどの程度まで許容しているかに比例した。中国では人民はほとんど自宅監禁の状態に置かれ、村まるごと隔離施設へ強制収容されることもあった。私権を重視する欧米各国では、ロックアウトといっても自宅周辺を散歩することは許されていたし、日本では「要請」止まりで罰則規定のある制限は課せられなかった。
結果、中国がいち早くコロナ禍から脱し、欧米がそれに続き、日本だけが2年にわたってリバウンドを繰り返し、2021年7月の東京では東京五輪と非常事態宣言が同時に実施という冗談のような事態に陥っている。
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儒家のキーワードである「忠孝」という単語が登場する。現代では古臭いを通り越して、「非人道的」という扱いすら受ける単語だが、もし現代風にリメイクするならば「人間同士の関係性を重視する」といったところだろう。「社会人なら自分の家族をしっかり守り、社会全体に貢献しろ」を二文字で言い換えたのが、「忠孝」である。
「忠」は社会との関係性、「孝」は家庭内における関係性を象徴し、仏教やキリスト教が信者に対して社会や家族より信仰に重きを置くよう求めることと対照をなしている。宗教が教団の構成員となることを強いるように、「忠孝」概念は人々に一般社会や親族といった既存の集団に属する構成員であることを自覚し、それにふさわしく振る舞えと言っているのである。
”既存の”というところがポイントで、もし「敬天」などといい出すと、「天下」は既存社会を内包するので、”たとえ既存社会に逆らうことになっても”、”たとえ一時的に社会秩序を乱して一部の人民を困窮させる事態になったとしても”云々という意味合いが出てくる。
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