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オフ大会を実況しだしてから4年経ったらしい

どうもこんにちは。Dice-kと申します。

タイトルの通りなんですがオフ大会を実況するようになってからもう4年も経ってしまったことに気づきました(7/31が周年なので一ヶ月半遅れ)。実況ちゃんが記念日とかを大事にするタイプの彼女だったらブチギレられていたことと思いますがまあ許してくれるでしょう。
自分がスマブラの大会を実況し始めてからに関しては、ありがたいことに各配信団の皆様のおかげでアーカイブが残っているので一旦良いとして、じゃあそもそも「なんでゲームの大会を実況しようと思ったのか」について文字に起こしてみようと思いました。初期衝動ってやつですね。

僕は大学入学時点、もっというと大学受験にあたって進路を考えた時点でアナウンサーを志望していました。高校までなにかしら運動部に属していてプロスポーツ観戦が大好きで、喋ることが得意でよく「声がいいね」とか国語の授業や学芸会、体育祭のアナウンスなんかで「読むの上手いね」なんて褒められたりして、そんな自分にとって理想の仕事はスポーツの実況でした。なのでその為にはアナウンサーになろうと思ったのです。結果的に受験は紆余曲折波乱万丈の展開の末に日本大学芸術学部放送学科に合格しアナウンスを専攻することになります。

しかし、そんな自分を待ち受けていたのは圧倒的に自由度が増した大学生活という名の甘い誘惑でした。僕らの一年時はまだコロナ前だったこともあり遊ぼうと思えば無限の選択肢がありました。そんな中でそもそもの人間性が「やりたいことしかできない」な自分がまともに大学に行けるはずもなく…。専攻のアナウンス及び喋り方やそれに関する授業以外はどんどん出席しなくなっていきました。そうして僕は一年生終了時点ですでに「残り3年間ほぼフル単で取り切らないと留年確定」というダメ大学生界のトップをひた走る存在になってしまいました。

ですが、突然世界の様子が一変します。先ほども名前を出しましたがコロナ禍がやってきました。これによって受けた影響は皆様も大きかったと思いますが、当時、アナウンサー志望で趣味がプロスポーツ観戦のダメ大学生だった自分にとっては完全に生きる目的を失うレベルの大打撃でした。3月ごろから感染症が拡大していたのですが、この年の一月には僕がNBAを見るきっかけになって世界で1番好きなバスケットボール選手、コービーブライアントが飛行機の事故で亡くなっていました。コロナ禍でプロリーグは中断し新しい試合は見れず、最愛の選手はこの世を去り、そんな時期に自分が手に取ったのが中古で買った「NBA2K」というバスケットボールのゲームでした。ゲームの中でならコービーのプレーがまた見れる…そう思ってCPU同士で対戦をさせているとふと気づいたことがありました。実況は英語しかなかったのです。バスケットボールは日本では野球、サッカーほどの人気はありませんし、当時はNBAで日本人選手が活躍する前なのて当たり前なのですが、それが何か寂しく感じたのです。あとはお察しの通りかもしれませんが自分でやってみることにしました。それがコロナ禍でやることを失った僕が初めて見つけた熱中できる趣味でした。幸いスポーツゲームはたくさん持っていたのでウイイレ(FIFA派の人ほんまごめん)、パワプロなどで同様に実況の練習…という意識は全くありませんでしたが、まあとにかく喋り、程なくしてスマブラにハマり、大会の存在を知って、実況を志願して、快く受け入れてもらえて今に至ります。

オフ大会の実況を初めて4年、今年は特に大きな変化が起きています。大学中退とか就職とかイナズマイレブンとか…。自分の人生の中心は今、完全に実況です。もっと良い実況がしたい、理想の実況を目指したい、というかそもそも理想の実況ってなんだ、そんな答えの無い表現の世界が大好きです。あと何年、自分が実況活動を続けられるかわかりませんがこれからも燃え尽きるまで頑張っていきます。

まとまりのない文章だったと思いますがここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。また会おうね。

Dice-k/長沼大介

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