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人はなぜ恋をしてしまうのか?
先日、茨城県立歴史館で開催されていた『なぜ恋してしまうのか?展』を見に行きました。
(こちらの展示は、1/26で終了しております。)
時代によって恋愛様式がそれぞれでおもしろかったので、展示を見て感じたことをこちらに記録します。
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なぜ「恋」してしまうのか?
"古来、人々は恋の歌を詠い、出会い方を変え、時に恋愛のルールを作り・・・形を変えながらも、今日まで「恋」は続いています。
古来から現代に至るまでの恋愛を50のエピソードと共に遡る過去の章、6通りの恋愛の未来を想像するエッセイを展示した未来の章で構成されています。
過去から未来へ、長い時間軸で恋愛を俯瞰することで、私たちの普通を問い直し、変わらない本質を見つめていきます。
恋愛という身近なテーマで、歴史を知り、今の私たちの価値観に「なぜ?」を問い、少し先の未来を考える企画展です。"
「引用:茨城県立歴史館HP」
自分にも経験のある身近な存在の「恋」。
でも、「恋」をテーマにした展示は珍しくて興味が湧きました。
もともとは「通い婚」が一般的だった?!
まずは、古代から現代に至るまでの恋愛の変化を50個のエピソードとともに知ることができる展示を見ました。
ここで衝撃だったのが、昔は通い婚が一般的だったこと。
今は、結婚するとなると、夫婦が一緒に住むイメージがありますが、古代から平安時代にかけては、妻問婚(つまどいこん)という夫婦が結婚後も同居せずに、夫が妻の家を訪れる婚姻形式が主流だったのだとか!
しかも、妻は夫がくるのを待つのみという決まりがあったようで、会いたい時に会えないなんて寂しいなと思いました。
今みたいにLINEなどのSNSもなかった時代。
気軽に連絡を取れるわけもなく、相手を思って歌を詠んだり、文を書いたりしていたのでしょうか。
なんだか一日が過ぎるのが長く感じそうですが、それがその時代の当たり前だったんだろうなぁ。
恋の歌~和歌からポップソングまで〜
古代から現代に至るまで様々な恋の歌が誕生しています。
そんな数々の恋の歌を紹介する展示があったのですが、その中から私が特に好きだったものを1つご紹介させて頂きます。
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「瀬を早み岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ
(現代語訳:川の水が岩にせき止められて2つに割れ、その後にまた合流するように、今は別れることになったとしても、いつかきっと再会しようと思っています。)」
作者は、平安時代末期の皇族・第75代天皇 崇徳院
鳥羽天皇の第一皇子で、5歳で天皇の位を譲り受け、18年間在位されました。
その後、後白河天皇との間で、後の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立し、戦となりますが、(保元の乱)、破れ、讃岐(現在の香川県)に流されて、45歳で没された方。
時代背景や自分の生まれた環境に翻弄された方ですが、離ればなれになった恋人への想いに重ねて詠われたこの歌は、2人の運命を、川の水が岩にせき止められて2つに割れて、その後にまた合流する様に例えられています。
障害を乗り越えてまた逢おうと再会を誓うメッセージがどんな苦境に立たされても折れない崇徳院の思いを感じ、素敵だなと思いました。
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