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夢日記7/4

 「それじゃああんまり散文的すぎるわ」とアンはよく言っていた。それは「もっと詩的に言ってちょうだい」ってことだ。その言い方がもう詩的だ。

 私は詩才があんまりなくて、たぶんへんに照れてしまうんだと思う。説明的、解説的すぎるんじゃないかと思う。「ズバッと言う」のは聡いようで、なんでも物事、要約したらいいってもんではない。

 少し酔ったら、いい感じに詩的になることもあるかも知れないです。たぶん、中島らもみたいに。

 友人としゃぶしゃぶランチ飲み放題で酔ってカラオケに行った。中島みゆき『化粧』をこぶしをきかせて歌うと(というかモノマネ)、友人が「えっ、泣いてない?」って二回見て来た。泣いてないよ(泣)、でも泣いてもいいんじゃないのか。

 化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
 今夜 死んでもいいから きれいになりたい
 こんなことなら あいつを捨てなきゃよかったと
 最後の最後に あんたに思われたい

 中年女にみゆきが沁みる。泣いても、別にいいんだけど、泣かないで泣いてるみたいな声が出せる。カラオケ、詩を読む会でもあり、友人の好きな曲を聴くのなんでも好き。歌うまいの、うらやましい。

 夢。夢は詩的だと思う。翌日、(眠れなくて追加した頓服が変に効いて)ぐらぐらした悪夢をみた。バッドトリップ。


 夢にはたくさんの双子の子供らが目隠しをして並んでいたり、やたら安い露店の八百屋があったり、電車は道後温泉行きとあったり、「麺三」って二の腕に入れ墨した男とかがいた。ゾンビと化した女子大生は「寝る前に6時間映画を観る贅沢な生活を!」と叫んでパルムを投げつけて来て、カンフーの達人がそれを手刀で右に左に払ってくれた。
 私は窮地にいるのにやるべきこととちがう何かに気を取られ、母親に気の利かないLINEを送りそうになっては消す、みたいなことをしていた。駅まで迎えに来て、だけなんだけど、まずその最寄り駅に辿り着かない。一個足りないか、一個過ぎるか。

 散文的な解説になるけれど、悪夢は、とくに「自分の行動のままならなさ」は、躁転が極まった時に似ていてリアルだった。よくわからない駅で降りてしまったり、LINEが打てなくなったり、知らない人に話しかけてしまったりした。

 夢日記、おもしろいかはわからないけど書いてみとこうと思う(人に見せるべきかはわからないけど)。


   

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