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平成の私立女子校に変化が訪れた話

はじめに


地元の制服を調べているうちに、名古屋の私立女子校の制服史に残るか残らないか微妙だけど個人的に興味がある事例を見つけたので記録に残したいと思います。

昭和から平成に入る頃まで多くの私立女子校は校則が大変厳しく、持ち物一つでも厳格なルールがありました。
しかし平成初期頃から、生徒の要望等声が大きくなり
①通学バッグの自由化(学生鞄の廃止)
②盛夏服の導入
これらは各校示し合わせたようにほぼ同時期に私立校中心に広まりました。
私はこの上記2つがMCブームやDC制服ブームと重なる時期であり、伝統的な制服を守る私立女子校にも少なからず影響を与えたのではないかと考察します。
(どこも盛夏服がモリハナエに似てる・・・気がする・・)

①通学バッグの自由化(学生鞄の廃止)について

椙山女学園が鞄の自由化の取り組みについて詳しい資料が残ってたので時系列をまとめました。(椙山の教育 第2集 中高の歩みこの5年 より)
1992年度
・体育系クラブのスポーツバッグが許可制になって、一般の生徒の中に違反のバッグを持ってくるものが増え指導がしにくくなる
1993年度
・生徒会のアンケートで「鞄の自由化」の要望が全体の69%もあり生活改善要求として取り組む動きがあった。
・ディベイトの企画があったが教員側のクレームにより不発に終わる。
1994年度
・教員側は他校(市邨・淑徳・東邦・聖霊)へ訪問しリサーチする。
他校訪問の結果をもとに全体で話し合う資料を作る。
・生徒側は、生徒会の方針に「鞄の自由化」が明記。
教員へのアンケート、クラス討議、シンポジウムを行う。
1995年度
・生徒会が正式に要望書を提出→職員側が正式に回答書を作成する
・10月30日から試行期間に入る

鞄自由化に関する生徒アンケート内容には、当時の通学鞄に関する悩みがよくわかりました。
自由化を望む理由が「学生鞄は機能的ではない」が最多数でした。
・重くて持ちづらく、歩きにくい。電車で邪魔になる。
・自転車のかごに入らない。
中学生の意見では「中学1年生の通学状況はあまりにも気の毒」ともありました。
中には「現行のものが制服にふさわしい。辛抱させるのも大切」との意見も・・・。
資料を読み、生徒と先生方が話し合い、折り合いをつけて自由化を勝ち取った女子生徒たちの勢いを感じた出来事でした。

ちなみに他女子校では97年に聖霊、98年に淑徳、00年に金城が革鞄廃止されました。

②盛夏服の導入

こちらも同本に詳しい資料が残っていたのでまとめました。

1991年
・生徒及び父母より「夏のジャンパースカートが暑いので検討してほしい」という声が上がったため服装委員会発足。
1992年
・4月デザインを松坂屋に依頼、委員会で全国の見本検討、新作の見学。
・デザインが4種完成
・7月試作品のアンケート実施、意見集約
・新しいのに変更か、従来のか、併用かについて生徒アンケート。(併用に決定)
・秋ごろ細部(エンブレムの色、タック、ボタンの色、生地、洗い方、値段など)
1993年
・着用開始(テスト期間)
1997年
・正規採用

盛夏服の導入に関しては椙山は学校が導入に積極的な姿勢だったのが伺えました。余談ですが、デザインを松坂屋に依頼したにもかかわらず今は松坂屋は制服の取り扱いをやめて買えないとは・・・。

他のジャンパースカートが夏服の女子校は?

聖霊中学高校・・・1992年準制服の導入
こちらはでシンポジウムも開かれ相当先生側と交渉したと聞きました。
ジャンパースカートのウエストがゴムのため、ずっとウエストに布がまとわりつくので通気性は悪いと思われます。(ホントです)
準制服と呼ぶ理由は、正式な制服と認めないけど学校には着て来てもよいという意味と先生から直接お聞きしました。

聖カピタニオ女子高校・・・1996年夏服変更
夏期にブラウスの上にジャンパースカートの重ね着することは、以前から体温上昇や異常な発汗作用で凌ぎにくく健康上よくないという理由で廃止。
ネクタイ付きのオーバーブラウスは正装。
同時にポロシャツも導入され、もしかして愛知県で一番初めにポロシャツが導入された学校かもしれないです。


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