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母が決めた「これから」〜失明しても

母と大学病院に通うのも最後になった。
わずか半年の期間だったが、
片道一時間半の電車の中での語らいは、
もしかして
電車の中だったから
限りある時間
の中だったから
あれこれと深い話になったのかもしれない。

それはきっと、いつか
この世から母が去った後に。。
私への大切な贈り物に変わっていくだろう。

今年の二月、緑内障の母は、二度目の手術をした。
緑内障とは、眼圧で視神経が傷み最後は失明となる。

眼圧の正常値は、10から21らしいが、
母は、両目とも60を超える時もあった。
手術しても、僅かしか眼圧が下がらず、
片目だけ別の手術法で行ったのだ。

だが、手術の結果は
現状維持でもなく、失明してしまった。

リスクはあるものだし、
緑内障の手術をして、視力が上がることもない。
現状維持、眼圧を下げるのみが効果になるのだが、
失明という現実は、なかなか受け入れられるものではなかった。

いったい、私たちは
目からどれだけの恩恵を受けているのだろう?
ものを見るだけだろうか?
いや、目は心の窓
心と深く繋がっている。

いくら、もう片方の目が見えたとしても
心の戸惑い、不安、恐怖、そして悲しみが
母の心を支配した。

そのどんよりとした日々を
どう支えていいのやら、言葉が見つかるわけもなく
何かを提案しても首を縦に振らない。

そのうち、私から娘へ、娘から息子へ
家族の思いのリレーが始まり、
やっと、息子の見つけた名医の元に行くことになった。

大学病院でも初診の眼圧測定で
57という高い数値だったので即、手術。
幸いなことに手術は成功し、両目とも眼圧は10まで下がった。
失明した眼はやはり見えないが、見える側の目の寿命は伸びた。

私は付き添いをしながら、
そこに集まる各地の患者さんと言葉を交わす。
世の中というものを、また少しだけ知った気がした。

そのうち、足が少し不自由な母にとって
待合室でずっと座っていることも、通院も負担になっていった。
何よりも一番の負担は、
また眼圧が上がれば、手術を勧められる恐怖だった。

もう、十分戦った。
これ以上は何もせず、失明するならそれでいい。
自然に任せて生きたいと打ち明けられた。

そうか、母の人生は母のもの。
それでいいと思った。それぞれの生き方があるのだから。

私自身、医療は進み、色んな治療が施され
いったい、自分の本当の命は
どこが限りなのだろう?と思うことがある。

自分の意志で最期に向かう気持ちは私も同じだ。






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ダイヤモンド・ペッパー
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