【現役の外科医が教える】食べて寝て排泄して…を毎日自然にこなす「人体のふしぎ」
理系の枠を超える「医学の入門書」に
―― もともとサイエンス系の教養書づくりは田畑さんが得意とされるところですが、『すばらしい人体』も7刷16万部のベストセラーに! この本を企画したきっかけから教えてください。
田畑博文(以下、田畑) 『すばらしい人体』を企画した理由は2つあります。
1つめに、数年前から、「医学の入門書」を作りたいと考えていました。
医学は、学問としての真理の追求(人体のしくみを理解すること・病のしくみを理解すること)と、実学的な部分(目の前の患者の病をどう直すか)という両方の視点が入っている、ものすごく面白い学問だと関心を持っていました。
これまでに私が担当してきた、数学、生物学などの本と同様に、理系の枠を超えて、多くの読者に楽しんでもらえるジャンルだと感じていたのですが、広く読まれている本が出ていない印象があったので、ぜひ自分の手で実現できればと考えていたんです。
―― いつものことながら、類書も相当リサーチされたと聞きました。
田畑 はい。先人たちがどんな本を作ってきたのか、どのように読者に受け止められてきたのか。この作業がいちばん時間がかかるのですが、楽しい時間だったりもします。
あれこれと近いテーマの本を買い求めて、読み漁りながら、売り上げも調べて……とジャンルを研究したところ、翻訳書も含めて面白い本も多いのですが、ストレートに「医学の入門書」を作ると、どちらかというと「専門書」になってしまい、なかなか一般の人には読んでもらえない ―― 衝撃的な事実がわかりました。
「医学」が私たちの健康を担う大切な学問であることは、世の中の共通認識だと思います。
けれど、数学や生物学などのように、中学や高校で教えられているわけではないので、おそらく接点がないままに「難しそう」という印象のみが強く、私の感じている「面白さ」が伝わっていないのだということに気がつきました。
そこで、「この本を読んでみたい」と、感じてもらうためには、どのように「興味の入り口」を設定すればよいのか、どのような内容にすべきかを考えていたのですが……あるとき、「自分ごととして捉えてもらえるようにしたら、どうだろうか」と思いつきました。
―― 「医学を自分ごととして捉える」という切り口は非常に面白そうですが、それを書籍というパッケージで実現するのが難しいような……
田畑 あれこれと悩みました……。たどり着いたのが、医学の面白さの一つである「人体のしくみを理解する」という点を前面に押し出した本にするというアイデアです。
私たちはみな「自分の体」を持っています。自分の体(人体)のしくみ、見事なメカニズムについての発見に満ちた本であれば、関心を持ってくれる人が増えそうだと考えました。
また、「人体」をテーマにした本は、サイエンスジャンルのなかでも、多くの読者がいるテーマです。そこで、人体を入り口にした「人体&医学入門」を作ろうと決意しました。
―― 実際、『すばらしい人体』で解説されているのは、「意外に知らない目の働き」「心臓の拍動のしくみ」「脳が呼吸をコントロールする」など、日ごろ意識せず働いている体の機能の裏側に、そんな仕組みや効果があったのか! と驚いたり納得したりというトピックばかりです。著者は外科医の山本健人さんですが、最初から想定されていたのですか。
田畑 山本さんにお願いしたのは必然だったのかもと思えるようなプロセスがあったので後でお伝えするとして、著者を医師にしようということは当初から決めていました。
これまでに広く読まれてきた人体の一般書は、解剖学者の書いた本が多い印象がありました。
解剖学は基本的に死体を取り扱いますが、医師は患者(生きている体)と向き合っています。
医師が「人体のふしぎ」の数々を、医療の現場での体験を交えながら語ることで、これまでの本にはない新鮮さを提供できるのではと考えたからです。
―― たしかに、私たちが普段お医者さんに接するときは、そのときの症状について診断・治療してもらうだけですが、お医者さんたちが診断している背景というか、人体のそもそもの仕組みや機能をどうとらえているのか、その知識と臨床で見聞きする現象をどうつなぎ合わせているのかは興味がわきます。
コロナ禍で医療や医師がより身近に
田畑 著者の条件とも関連するのですが、この本を企画したもう1つの理由として、2020年からのコロナウイルスの流行があります。
コロナウイルスの感染の拡大以降、私たちは毎日のように医療関係者や医師の発言に耳を傾けてきました。
ニュースでは、感染症の対策を含めた「医療行為」や「医療行政」そのものに関する論点や問いは多数出ているのですが、私としては「そもそも」が知りたいと思ったんです。
―― 「そもそも」というのは?
田畑 医療の根底にある「医学」という学問は何を希求している学問なのか、その発展の歴史はどのようなものであったのか。医学に関わる人たちの背景にあるものは何か、彼らは何を大切にしているのか。「そもそもの視点」を提供したい、私自身も勉強したいと思いました。
また、「免疫とは何か」「ワクチンが効くメカニズムはどういうものか」といった人体にまつわる疑問を考える機会が増えている実感もありました。
これまで考えてきた「人体」を入り口にした「人体&医学入門」を刊行するのは、いましかない! そこから著者探しが本格的に始まりました。
一般の人に専門知を届ける
―― 著者は医師にお願いしようと決めていたということでしたが、山本健人さんにはどういう経緯で依頼されたのですか?
田畑 山本さんのことは以前から存じ上げていました。山本さんは、現役の若き外科医で、「間違った医療情報」の氾濫に心を痛めており、SNSやブログで「正しい医療情報」の発信に力を入れています。
病院や医師との付き合い方をテーマにした何冊かの著書は私も読んでおり、活動を応援したい方だし、いつかお仕事をご一緒できればと思っていました。
といっても、それまで繋がりはなかったのですが……。山本さんがあるときに、私が担当した『とてつもない数学』という本をTwitterで褒めてくださっていたんです。
お礼も兼ねてTwitterやメールでやりとりをするうちに、山本さんが、私がそれまでに編集担当した『若い読者に贈る美しい生物学講義』や『16歳からのはじめてのゲーム理論』なども愛読してくださっていることがわかりました。
―― なんとなく呼応されるところがあったんですね。
田畑 山本さんは、「医療コミュニケーション」に力を入れており、どうすれば、一般の人に専門知を届けられるか、どのような言葉で語りかければ良いのかという取り組みを、日々実践しています。SNSでもフォロワーが10万人もいるのは、山本さんの言葉が、届いている・信頼されている証だと思います。
「ずっと作りたかった本を実現してくれる著者はこの人だ……!」と、人体や医学の専門知を、一般書にして広い読者に届けることができる書き手が、いきなり目の前にあらわれたことに感動しました。
―― すごい。運命的です。
田畑 そうなんですよ。山本さんに執筆を打診すると「以前から教養書を書いてみたいと考えていました」と快諾してくださいました。
しかも、「実は、いつかそういう本を執筆したいと思い、人体の面白いネタを100個近くストックしているんです」と、打ち合わせ中に次々と面白いアイデアを披露してくれました。
『すばらしい人体』に収録されている「人体ネタ」の大半は、山本さんが10年近く蓄積・吟味してきたものです。
―― 先ほども事例を挙げましたが、この本には「私たちの体は重い」「がんが転移する臓器は偏る」「体温はすごい」など、日ごろ意識していなかったけど、背景はなるほどそうなんだ! というトピックが満載ですよね。コロナ禍で血中の酸素飽和度を測るパルスオキシメータが一気に広まりましたが、これが日本人による発明だったことも初めて知りました。
100近い候補から決まったタイトル
―― 『すばらしい人体』という書名タイトルはどのように決まったのですか?
田畑 「本のコンセプト」を明確に表現しながら、コピーとしての強さみたいなものも必要なので、毎回、本当に迷います。
『すばらしい人体』という書名については、「人体の本として手に取ってもらうこと」を目指していたので、「人体」というキーワードを使うことに、迷いはありませんでした。
そのうえで、「人体の精巧な仕組み」「人体の素晴らしさ」「人体の凄さ」「人体の面白さ」を表現できる言葉は何か…。
「人体」という言葉に何を組み合わせるか、100パターン近く考えて、最終的に「すばらしい人体」として、著者の山本さんにも快諾していただきました。
―― 「すばらしい」が漢字でなくひらがななのも、こだわりが感じられます。
田畑 オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』というSF小説の影響もあります。ひらがな5文字の「すばらしい」という文字列の軽やかさが美しいと以前から思っていて、いつか書名に使用してみたいと考えていました。「すばらしい新世界」自体は、タイトルにアイロニーを込めた「ディストピア小説」なのですが。
サブタイトルの「あなたの体をめぐる知的冒険」は、「ミクロの決死圏」というSF映画からイメージしています。作家アイザック・アシモフによって小説にもなっていますが、「未来の技術によって、ミクロサイズになった科学者たちが、ある使命を担って人体を冒険する」という話です。
「人体を冒険する」という世界観がとても好きで、読者にもある種の知の探索を味わってもらえればという意図を込めています。
―― まさに「冒険」ですね。
田畑 SFは奥が深すぎるジャンルなので、私はまったく詳しいわけではないのですが、「ぼんやりとしたSF好き」であることが、本書の書名とサブタイトルに影響しているかもしれません。
書名についての細かい意図は、企画会議でも説明することもなく、誰に話したりするわけでもないのですが、どの本も「読者層が広がるタイトルにしたい」という思いやコピーの技術みたいなこととは別に、自身のこれまでの読書体験から生まれてきた「こういう世界観を表現したい」「この言葉を使いたい」「こういう佇まいの本にしたい」という自分の妄想みたいなものが根本にあることを大切にしたいと思っています。
(後編につづく)
【今回の話題書】
すばらしい人体
山本健人 著
■新刊書籍のご案内
坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)推薦
「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」
著者紹介:
山本健人(やまもと・たけひと)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)
外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は開設3年で1000万ページビューを超える。Yahoo!ニュース個人、時事メディカルなどのウェブメディアで定期連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー10万人超。著書に16万部突破のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』『がんと癌は違います~知っているようで知らない医学の言葉55』(以上、幻冬舎)、『医者と病院をうまく使い倒す34の心得』(KADOKAWA)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30
公式サイト https://keiyouwhite.com
美しく精巧な人体をめぐる冒険—— 著者より
医学生時代に経験した解剖学実習で、大変驚いたことがある。
それは、「人体がいかに重いか」という事実だ。脚は片方だけでも一〇キログラム以上あり、持ち上げるのに意外なほど苦労する。一見軽そうな腕でも、重さは四~五キログラムである。想像以上にずっしり重い。
私たちは、身の周りにあるものの重さを、実際に手にしなくともある程度正確に推測できる。だが不思議なことに、自分の体の「部品」だけは重さを感じない。日常的に「持ち運んでいる」にもかかわらず、である。
一体なぜなのだろうか?
その答えを求めると、美しく精巧な人体のしくみが見えてくる。
人体がいかに素晴らしい機能を持っているか。
健康でいる限り、私たちはそのことになかなか気づけない。
私たちは、たとえ走っている最中でも道路標識を読むことができ、前から歩いてくる人をよけることができる。頭は上下に激しく揺れているにもかかわらず、視界が揺れて酔うなどということはない。
あなたは、今これを読んで「ウンウン」とうなずいたかもしれない。だが、その頭の動きに合わせて、あなたの視界が上下に揺れることはない。
ところが、スマートフォンのカメラを目の前に構え、走りながら動画を撮影してみればどうだろうか。収められる映像は大きく揺れ動き、視聴に耐えるものではないはずだ。
私たちの視界と、カメラが収める映像の違いは何なのだろうか。そう考えると、一つの真実が見えてくる。私たちの体には、「視界が揺れないための精巧なシステム」が備わっているということだ。
私は医師として医学を学び、人体の構造・機能の美しさに心を奪われてきた。一方で、このすばらしいしくみを損なわせる、「病気」という存在の憎らしさも実感してきた。病気の成り立ちを理解し、病気によって失われた能力を取り戻すのも、医学の役割である。
医学を学ぶことは、途方もなく楽しい。知れば知るほど、学ぶことの楽しさは指数関数的に増大していく。私が医学生の頃から絶えず味わってきた興奮を、誰かと共有したい。知識の点と点が線となってつながり、思わず膝を打つときのときめきを、誰かに伝えたい。
本書が目指すのは、過去から未来まで、頭から爪先まで、人体と医学を楽しく俯瞰することだ。幼い頃に買ってもらった新しい図鑑の頁をワクワクしながらめくったときのような、心躍る体験を届けたいと思う。
それでは、さっそく始めよう。
あなたの体をめぐる知的冒険を。
※この記事は、ダイヤモンド書籍オンライン(2022年10月13日)にて公開された記事の転載です。