1月22日 Economics as a Social Dimension 1つの側面としての経済
おはようございます。今日も #ドラッカー #365の金言 から人生と経営を深めて参りましょう。
本日、#1月22日 テーマは #Economics_as_a_Social_Dimension (社会的側面としての経済学)
#ケインズは財の動きに関心をもち私は人の行動に関心をもった 。
私は、体系としての経済学がその基礎とし、それなくしては存立しえないとする基本的な前提を受け入れない。すなわち、経済を支配的な領域として受け入れることはもちろん、独立した領域としても受け入れない。
経済はたしかに重要である。ベルトルト・ブレヒトがいったように「胃袋があって道徳がある」。経済とはつまるところ、胃袋をいっぱいにすることである。私自身、政治や社会にかかわるあらゆる決定において、コストを計算し考慮に入れるべきことを強く主張してきた。便益だけを論ずることは無責任であって、無残な状況をもたらすだけである。私は自由市場に代わるものについてあまりに多くを目にしてきたがゆえに、自由市場を信奉する。しかしそれでも私にとって、経済は唯一の領域ではなく一つの側面にすぎない。経済は絶対的な決定要因ではなく、制約要因にすぎない。経済的な欲求や満足は、重要ではあっても絶対ではない。そして何よりも、経済活動、経済機関、経済合理性は、それ自体が目的ではなく、非経済的な目的のための手段にすぎない。
つまり私は、経済学を独立した科学とは認めない。私は経済学者ではない。このことを私は一九三四年、ロンドンの投資銀行の駆出しのエコノミストとして、ケンブリッジでケインズのセミナーを聴講したときに知った。そのとき私は、ケインズが財の動きに関心をもち、私は人の行動に関心をもっていることを知った。(『すでに起こった未来』)
ACTION POINT
#決定を行なうときには 、
#顧客や社員への影響を検討しつくしたことを確認してください 。
本日の提言は、
『すでに起こった未来』(1994年版)から。
第2部 社会における経済学
の序文(29〜30ページ)から
引用されているところです。
ドラッカーだけでなく多くの人にとっては、
「経済は、腹を満たす手段に過ぎないもの」=人生や社会の手段に過ぎないもの、であるにもかかわらず、
ケインズはじめ、エコノミストは、
経済を人生の目的や社会の目的のごとく考えている
ということ。
経済は社会の一側面に過ぎないってこと。
メタな視点が必要だよな、ということなのかな?
今日を変えていこう。
愛を込めて。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートもお願いします。取材費やテストマーケなどに活用させていただき、より良い内容にしていきます。ご協力感謝!